2009年6月27日土曜日

ラブラドール遺産ウオーク その3


● No.3 案内ポール


● No.4 案内ポール


● No.5 案内ポール



 ペリカン・シーフード店の周りは「ハーレーパーク」と呼ばれる公園になっている。
 ペリカンの餌付けや自然プール、バーベキューエリア、遊園地などがあり、家族連れで年中、一日中にぎわっている。


● No.3 [Herley Park]

 No.3はその名前の由来を記したポールである。
 「ハーレー」とはゴールドコーストの有名な市長であった Ernest Oliver Harley からとったという。
 彼は1911年にローマで生まれ、1945年にこの地へ移ってきた。
 シーフードビジネスの草分けで、「Herley's Seafoods」と呼ばれていた。
 いわば、ペリカン・シーフードの初代で、いまはチャリスさんがやっているいうことのようである。


● 1970年ころのハーレーパーク(中央右のビーチ沿い)


 自然プールの脇にへんてこりんなものがあった。
 こりゃナンだろう、デザインベンチかな、と思った。
 でも座るにはちょっと、無理。
 では何?。


● へんてこりん物体:何のオブジェだろう?

 下が横にあった、解説。


● へんてこりん物体の説明


 遊歩道を南に向かうと、その際にのっぽの柱が立っている。
 上にはライトがついている。
 灯台。
 以前はここに、コンクリート製の灯台があった。
 径が1m半ほどの8角柱の煙突のような灯台であった。
 頂部には灯りがあり、その周りにはプリズムガラスがはめ込まれていた。
 それが先年取り壊されて、えらくスマートな細っこいポールに変わってしまった。
 でも背の高さはグーンと長くなった。
 この高さが必要となり、旧来のコンクリート灯台は壊されたのだろうと思う。


● スマートになった灯台


 これ何のデッキだろう。
 もちろん、景色をみるためのベンチがあるから展望デッキであることは確かだが。
 ここはやたらと陽射しが強いところ。
 冬の陽射しとてバカにならない。
 曇り空ならいいが、まともなら数分とじっとは座っていられない。
 まして夏なら、とんでもないこと。
 よって、このあたりの休息用・展望用のベンチにはかならず屋根がついている。
 がこのベンチ、数年たつがまるでその気配すらない太陽の下でむき出しのベンチ。
 日本では紫外線カットで、何でもUV仕様になっているが、さらに強烈なこの地でどういうことだろう。
 まるで、皮膚ガン促進ベンチのようにも思えてくるのだが。
 写真では曇り空のように見えますが、晴天そのもの。
 写真機というのは、あまりにクリアーに空が青いと、どうも自動的に絞ってしまい、まるで曇り空のように写してしまうもののようです。


● 皮膚ガン促進、むきだしデッキ



● そのベンチで展望を楽しむ人たち

 そのデッキに人がきた。
 でも3分と座っていられない。
 もし、本当に展望用につくるのなら、何らかのデザインで屋根をかけるべきであろうと思う。
 が、それをあえてやらないでおくということは、理由があるのだろう。
 あるいは単なる、デザイナーの考え方によるものなのであろうか。

 さてさて、その手前に写っている「魚の骨」というか「魚のガイコツ」はなに。


● 6匹の魚ガイコツ

 これも有名なオブジェ。
 ゴールドコースト・ハイウエイが内海に交わるところにつつましやかに置かれている。
 右に曲がるほぼ目の前に立っているため、エッツと思って目をこらすと、運転がおろそかになり事故のもとになる。
 こういう目立つところには、ちょっと控えめめなほうがいい。
 でも、6匹もいると次々と見たくなり、視線が釘付けになってしまい、ちょっとこれも危ない。
 ここからゴールドコーストの町が始まるといった場所なので、魚の歓迎彫刻を設置したわけであるが、なかなか難しい問題でもある。
 と、勝手に考えているだけで、とりたてての問題ではないのだが。
 ここは近いうちに拡幅されますので、魚が車道際にズラリと並ぶことになりそうだが、どうだろう。
 面白いと思うのだが、安全管理の面から、移動させられることも大いにありうる。
 設置されたときは、黒光りしてイキのいい魚だったのだが、近年はだいぶ錆びてきた。
 もうそろそろ、エナメルペイントで塗りなおしをしてもいいと思うのだが。
 「くたびれたサカナ」では街のイメージがよくなかろう。

 この魚ガイコツのところにNo.4がある。


● No.3 [Labrador House]

 簡単に説明すると、
「ラブラドール・ハウスは1883にフランシス・オーガスタ・ルイス・ソーンによって建設されたホリデイ型のハウスであり、これは郊外地に関する画期的な出来事の一つであった。
 1923年にジム・キャビルが短期間であるがここのオーナーになり、この地でニュービジネスを起こそうとした。
 だが彼の計画は進まず、結局、サーファーズパラダイスが候補となり、彼の名前はサーファーズパラダイスの中心「キャビル・アベニュー(Cabill Ave)」に残っている。
 ハセマン・ファミリー(The Hasemann Family)が最後のオーナーとなった1945年と1946年にコンビニエンスストアが造られ「Stop'N Shop(ストップン・ショップ)」と呼ばれた。
 が、1970年に突然建物は崩壊してしまった。」
と、いうことのようです。


● 1883年に立てられたラブラドール・ハウス
  1946年の「Stop'N shop」


  そしてちょびっと歩いて175m。


● 遊歩道に刻み込まれた歩行者・自転車専用道路マーク

 遊歩道の一部には、いまだ古いコンクリート敷きのところもありますが、新装なった遊歩道には必ず、上の歩行者・自転車専用道路マークが刻まれています。


 もうNo.5がある。


● No.3 [Labrador Hotel]

 抄訳で。
「1881年にフレデイック・ショーはこの地を購入して「ラブラドール・ホテル」を造った。
 ホテルは3つの集会室と15のベットルームをもち、ブリスベンからボートで来たお客はホテル専用の桟橋から迎えられた。
 1884年にアルコール販売ライセンスを取得した。
 1888年3月10日の「サザン・クイーンズランド・ブリテン」紙はラブラドール・ホテルをつぎのように伝えている。
 ”この地の有名にしてすばらしい、もっともポピラーなシーサイドリーゾートの1つである”
 この年、1888年に火事で完全に消失し、アルコールライセンスはグランド・ホテルに譲渡された。」



● ラブラドール・ホテルの写真



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