2009年11月30日月曜日

ヘリテージ・ウオーク後半 その1


● 後半はNo.11からNo.21までである
  start は写真のように、No.11である。


 今日は11月30日である。
 明日は、やっぱり12月である。
 というと今年はもうあと1カ月しかない。
 ついにきてしまった、ということなのである。
 「The Labrador Heritage Walk その5」を書いたのはGCマラソンの前にあたる6月29日。
 あれからすでに5カ月。
 その間、ほっぽらかしになっていたということになる。
 ずるずる長引けば長引くほど書く気をなくしてしまう。
 ちょうど年末という区切りを控えてプレッシャーをかけ、何とか今年中にと思い込めば何とかできるのではないかと勝手に思っている。
 そこでまずは、書く予定で撮った写真を先に公開し、<編集中>としておきます。
 後日、これに書き込みしていけば、自動的に完成するというセコいやり方である。

 井上ひさしのエッセイにこういうのがあった。

 ぼくのごとき筆の遅い作家にとって-----
 小説家たちは万やむを得ぬ場合、前もって画家と挿絵の打ち合わせをし、出来上がった挿絵をもとに小説を執筆するときがある。
 小生なんぞは毎号この「万やむを得ぬ場合」の常習犯なのでありますが、それはとにかく、これを「絵組み」と称しております

 なるほど。
 こちらは別に小説を書くなん高尚なことをやっているわけではない。
 逆に単に写真の説明をちょこちょこと書くだけのしごくイイジーな作業だから、写真が先にあったほうがいいに決まっている。
 ときどき、このことを忘れて、頭の中に文を作って、それにあわせて写真を選択しているときがある。
 写真の説明をするのではなく、写真を撮ったときの心境とか、そこから連想される話題とかをターゲットにするためである。
 そこでは、あくまで写真は、話のトリガーに過ぎない、ということである。
 これをやると、まず前には進まないし、その苦労が染み付いてくると、書くのがいやになってくることもある。



<編集中>

 今来た道を「No.4」まで引き返します。
 そこの信号でゴールドコースト・ハイウエイ(Brisbane Rode)を渡り、西に少し進んで左側にちょっと入ったところに「No.11」があります。













 「No.12」













 「No.13」









 「No.14」

 No.14はゴールドコースト・ハイウエイ(といっても普通の幹線道路だが)沿いのバス停の横にある。
 そこはまた、ラブラドール・ショッピングセンターの前でもある。












 <つづく>



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2009年11月21日土曜日

Multicultural Festival 2009 その6











 次は剣道。

 時代劇はといえば「サムライ」
 そして「武士道」
 武士道といえば「葉隠」
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」

 最近読んだ本に凄い一節があった。

 現在の「70歳代」は40年前の七十代に比べれば、明らかに幼稚です。
 シニヤ向けやラグジュアリー層向けのと言われる雑誌をみればいい。
 「長生き・健康と美容とグルメと財産保全」にしか興味のない、幼稚な欲望のみが躍っています。

 「健康で長生きしたい」という欲望がどんなに
 「見っともなく、はしたない」か。

 それを説く大人など、もう「どこにもいない」のです。
』 
 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」より

 と、堂々と書いている。
 分かってはいるが、こう明らさまに書かれると、逃げ込むべき穴がなくなってしまう。

 老人が大手を振って歩いている限り、若者の出ていく場所はない。
 それが今の日本。
 口をつぐんで、静かに席を譲ってやるのが大人というもの。
 それが明日の日本を創ることになるのだが。
 なのにしゃしゃり出る。
 恥を自覚する能力さえ失っている。
 90歳過ぎの医師が現役で頑張っている。
 さほどに、「日本は医者不足」なのだろうか。
 そのために、若い人の頭が抑えられてしまっている。
 この人、あまりにオエライさんなので
 「おやめになったら
 という一言を言える、大人がいない
 オエライさんの年寄りは始末におえない
 自ら身を引くことを忘れてしまっている。
 それをまた周りが、腹の中では正反対のことを考えながら、体面上でヨイショする
 ために、新鮮な血液の流れを止めてしまう。
 それを説く大人など、もう「どこにもいない」のです。

 まるでエラクないふつう人の私の耳にも痛い話!
 ジャパニース・カルチャーの危機
 かくもアッケラカンに書かれると、ちょっとスネてみたくなる。


 武士道は消えたか?
 「
刀を置き、花を手にしたサムライたち」というのもインターネットでしばらく人気があった。
 花とは「長生き・健康と美容とグルメと財産保全」か。
 これ、賞を獲った。
 上のキーワードをコピーして検索すれば8,500件と表示される。


 悲しいかな武士道の徳!
 悲しいかなサムライの誇り!
 武士道は、消えてゆく運命にあるのだ
 社会状況が大きく変わり、武士道に反対するばかりか、敵対するまでになった今日では、武士道にとって「名誉ある埋葬」を準備すべき時にきている。
 
 新渡戸稲造著「武士道」
より

 なんとも、悲しいトーン。
 「大人がいなくなってしまった
 でも大丈夫。
 写真のように赤胴鈴之助ジュニヤがいる。
 かれらはきっと、るろうに剣心になるだろう。
 前回の世界選手権ではアメリカに敗れて3位というとんでもない成績であった。
 でも今回はちゃんと優勝旗を取り戻した。





 グローバル化するとサムライは「ニンジャ」になる。
 脇差をさせば「ヤクザ」になる。
 区別がつくのは日本人だけ。
 外国人にはどちらも、サムライと写る。
 
 中学に入ったとき、剣道部に入った。
 防具をかぶってその重さに驚愕した。
 あれをすべて見につけてグランドを一周したら、ちょっと線の細い私などついていけない。
 これは体が持たない。
 すぐにやめた。
 根性がない。
 確かに。
 根性は星飛雄馬にまかせよう。
 私の分野ではない。
 昨今は、クールにスマートに。
 現在「cool」は「cold」に変わっているようですが。





 剣道は柔道や空手と違い、竹の棒でひっぱたく。
 とすれば、剣道のグローバル化は防具の向上に依存する。
 それができなければインターナショナル化はしない。
 宇宙素材も楽に手に入るこのごろでは、格段の進歩があったと思われるが。
 相も変わらず昔のままなら、剣道連盟の怠慢は免れない。

①.軽いこと
②.通気性がよく、むれないこと
③.衝撃をやわらげること
④.洗濯が簡単であること

 すくなくとも、この条件くらいは満足していないといけないだろう。
 でなければワールド・スポーツにはならない。
 つまらん根性神話で剣道人口の数を閉ざしてはならない。
 なにしろ、頭のなかが暑かった。
 よい季節だというのに、顔は熱帯。
 汗が目に入ってくる。
 そのために手拭をまくのだが、手拭からしぼれてくる。
 重い荷物を背負って、赤道直下の上り坂を進むようなもの。
 あのムーという汗臭さのお面を被るというのは悲惨だ。
 洗濯などはこまめに手軽にできなければいけない。
 でなければ、清潔好きの民族で知られている、
 「日本文化の屈辱」
である。

 そういえば、姉のムスメは剣道の有段者であったが。
 そのうちチャンスがあったら聞いてみよう。






 残りの写真は「folder」にしておきます。

「folder 1」
「folder 2」
「folder 3」

 最後は「礼」。










 <おわり>



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2009年11月20日金曜日

Multicultural Festival 2009 その5










 琴の次は「Tea Ceremony:茶道」である。

 さて、この稿は絶対に皆さんの、といっても男性だけだが、目をひくこと請け合いの稿である。
 和服の金髪美人がお茶をたてるのである。
 理屈なんぞいらずに写真だけ見たい、という人も多いだろう。
 でもそうはいかない。
 「***の口車」ではないが、恐怖の理屈をつけるのが楽しみの昨今。
 が、ここで載せられるのは数枚からせいぜい10枚程度。
 残りは消去してしまうことになる。







 が、それではもったいない。
 やはりここは、読者の要望には沿わないといけない。
 それは理屈であり、曇り空下のボケ写真なので、捨てるのはかまわないが、でも何か惜しい気もする。
 とはいえあまりの多さには悲鳴をあげてしまう。
 どうしようか少々、面倒になってきている。
 手を出すのがいやになってきてきるのである。
 よって、[folder]にしておきますので、見たい人はそちらを参照してください。

「folder」

 ところで、この和服・着物というものだが、私は日本人で見慣れており心理的・生理的美的感覚が、それを「美とする基準」をもって作られている。
 だから、豪華な洋装と和装を比較するとどうしても、和装の方に軍配を上げてしまう。
 いかに派手やかなドレスであろうと、同じような華やかさをもった和服にはかなわないのではないかと判断してしまう。
 日本人でない外国人はどう心理的に写るのであろうか。
 もちろん「ビーテイフル」とか、誉めそやしはするが、それはあくまでも一般的に美しいビーテイフルであって、自分たちの服装の美的感覚からいくと、私が和服に軍配を上げるように、彼らは自らの服装に軍配を上げることになるのであろう。

 通常の考えでいけば、何しろ和服は着にくい。
 ドレスのようにスッポリきて済むものではない。
 ちゃんと着付け師に頼まないと型崩を起こすシロモノである。
 いったいそんなものを着て、彼女たちはナニを考えているのかと、ちっと気を回してしまう。
 それを身につけて、さらには「お茶」をやろうという。

 着物というのは直線でできている。
 ドレスというのは曲線でできている。
 よって、作成するときドレスは型紙がないとできないし、チョキチョキ切った残りは使用されることなく捨て去られる。
 もちろん、端切れを何かに使うという使い方はあるが。
 よって、一度作ったものは、作り直しはきかない。
 着物の場合、布の直線を縫い合わせてできている。
 鋏は長さに対して入るだけで、形に対しては入らない。
 よって余った布地は出るが、切り残りは出ない。
 そのため、一度作ったものをほどいて、また別のものに作り直すことが可能である。

 「貧しさの知恵」といえばいえるが、この結果、着物は常に直線を基準に作られることになる。
 とすれば、折り紙でお雛様が作れる。
 直線の組み合わせなら、そう種類が多いものではない。
 とどのつまるところ、着物の形状とは長い年月の間に成熟しつくして、完成度100%になったものだともいえる。
 これに対してドレスが曲線が主体であるから、いくらでも形状が生み出せる。
 つまり、完成された形が存在しえない。
 よって、毎年毎年ファッションショーが開かれることになる。
 折り紙では、女王様は作れない。






 「お嬢ちゃん、ゆっくり歩こうね。裾がめくれてるよ。難しいんだよ着物は」

 一時、話題になったのが、日本初の外国人芸者の誕生。
 オーストラリア出身、オックスフォード大学で博士号を取得して、芸者になったという変り種。
 芸者修行で一番つらかったのは、「正座すること」だと言っていた。
 
 「25today」のサイトに載っています。

★ 25today
「日本が誇る伝統の業を伝えたい」 [2008/5/05]
http://top.25today.com/interview/post_215.php
史上初の外国人芸者 紗幸さんインタビュー


 写真のお嬢さんも立つとき、一瞬フラリとしていた。
 日本文化ではあるが、そのまま持ち込む限り、明確に言えることは「茶道」は国際化しないということである。
 あくまでも、「日本文化」だということ。
 寿司は生魚を抜き、それに変わる具を調達することによってインターナショナル化した。
 いま、大きなショッピングセンターへいけば、「Sushi Shop」が2軒は見出せる。

 あえて言えば、茶道は国際化してほしくない部類に入る日本文化であって欲しいということである。
 なんでもかんでもグローバル化すればいい、というものでもない。
 

 <つづく>



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2009年11月19日木曜日

Multicultural Festival 2009 その4








 3番目にして、最後が日本村のステージ。
 といっても、芝生の上にちょっと床を上げて張っただけのもの。
 野外ステージのため、雨天は中止になる可能性が高い。

 まずは、恒例の琴。
 メインステージを終え、こちらに回ってきた。
 今、この街で日本文化発信力のパワーがあり、最も優れた集団というと、この「なごみの会」。



 忙しいらしい。
 なにしろ、挙げてマルチカルチャーなるものに取り組んでいるお国柄。
 教育分野にもそれが浸透している。
 それにつれてなごみの会の出番が多くなる。
 小学校から観光協会、老人ホームや各種機関まで、ありとあらゆるところからお声がかかるらしい。
 週末のみならず小学校ともなれば平日にも出向かなければならない。
 大きな琴を車に積んで、サンシャインコーストからツーウンバ、NSWまで。



 ゴルフはスポーツの面からいうと、ゲートボール並みの「老人親睦会」で文化発信力はゼロ、ひまつぶしの健康体操みたいなものである。
 自ら「老いたな」と自覚したとき始めるスポーツ。
 それから比べると、この人たちは大変だ。
 本人たちにとっては単なる趣味であろうが、最終的に知らぬ間に日本文化を背負ってしまっている。
 それだけの期待があれば、また努力精進できるというものだが。



 琴の先生を中心にしてできた、ちいさなグループのようであるが、いまや、この街における日本文化発信の頂点に立っている。
 早晩、若者たちを中心にした「和太鼓 絆」もそれに加わって、二輪体制になっていくと思うが、それにしても女性パワーはすごい。
 若者と女性。
 ちんたらゴルフなんぞの老人スポーツにうつつを抜かしている男性人は、そのうち裏方に追いやられていくであろう。
 この国(QLD)の首相は女性である。
 日本も、ダメな男に変わってしっかりした女性首相の登場が望まれるところである。
 <ちょっと過激に、正直過ぎる書き方になってしまったが>
 琴については、以前に書いていますので割愛します。


 さて、カメラを引くと、左に模擬店が見える。
 イベントで楽しいのは、この模擬店を覗くこと。



 そして、いつものように「タコヤキ」を買う。
 これを食べるのが、また楽しみ。
 ホッツホッツホー。
 出来立て。
 口の中が熱い。
 5ドル50セント、日本円で450円といったところか。



 「ジャパニーズ・カルチャーはタコヤキだ!」 
 と言っても、誰も納得しないだろうが。
 世界に発信された和食の華は「スシ」。
 ときどき、スシ屋へいく。
 ご注文は?
 まず、ウドン。
 ウドン?
 そうウドン。
 おいしい汁をすすり終えて次は。
 タコヤキ。
 タコヤキ!
 そうタコヤキ。
 勝手にしろ。
 その次は、アジフライ。
 ?
 最後にやっとスシ。
 「何にしましょう」
 「ウメキュー(カッパに梅干を和えたもの)」
 オワリ。

 スシって、そういうものでしょ。
 生魚のスシは?
 ナマザカナ?
 そいつは「ゲテモノズシ」だ。


 <つづく:長くなりそう、何しろ500枚の写真を整理しないといけない



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Multicultural Festival 2009 その3












 以降、メインステージは諸々の文化芸能へ移っていく。

 地元新聞社の「ワークショップ・ステージ」を覗いてみる。
 メイン・ステージが個々のカルチャーの披露舞台なら、ここは大道芸のステージである。
 といっても、ステージがあるわけではなく、ただ集まってわいわいやっているだけ。
 よってプログラムもない。
 その場その場の参加者でやっているようだ。
 ストリート・パフォーマンスである。
 写真を撮ったのが2つありますので紹介しておきます。

 足に挟んだ太鼓、確かボンゴとか言うのだと思うが、手で叩きながら歌って語る芸。
 日本ならしんみりと、ギターで弾き語り、ということになるが、アフリカ系は常に陽気である。
 言葉はわからないが、なかなかの芸人である。
 隣の女性は、お客さんのなかから参加した方。
 叩き方を見よう見まねで真似をしている。




 











 ウエストサイド・ストーリーから代々木族、そして昨今のアキバのコスプレッチまで、世にストリートパフォーマンスの種は尽きない。
 下は御そろいのTシャツとパンツに身を包んだ少年少女のストリート・ダンス。
 体の動きが主体になっているヤツ。
 クイッツ、クイッツと小気味よい。
 素人ぽいところがうける。













 <つづく>



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