2009年7月12日日曜日

人もおだてりゃ空を飛ぶ その1






● 人もおだてりゃ空を飛ぶ



 ヒマになると、小指にポケットカメラをひっかけ、クリークに出かけて鳥を撮っている。
 が、空を飛ぶのはなにも「鳥」だけではない。
 CMで「ブタもおだてりゃ木に登る」というのがあった。
 現在は「ブタもおだてりゃ空を飛ぶ」。
 内海では「紅の豚」が飛んでいる。
 「トーン」と。

 おだてに乗りやすいのが人間のサガ。
 いとも簡単に、オダテにつられて空を飛ぶ。
 「空飛ぶ人間」ならなんといってもこれ、「鳥人間コンテスト」
 例年ならこの夏に行われているが、今年は緊縮財政のあおり「中止」とのこと。
 残念至極。
 でも来年は開催が決まっており、参加者はみなみな張り切っているようです。
 
 Wikipediaで見てみましょう。

鳥人間コンテスト選手権大会

 1977年に滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され、1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。
 その模様は、読売テレビ制作・日本テレビ系列で全国ネットの特別番組として放送されている。
 初期のころのテレビ放送では、タイトルの頭に「飛べ、栄光の大空へ!」というキャッチコピーが付けられていた。
 当初は『びっくり日本新記録』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。
 なお第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」、第2~4回は「鳥人間コンテスト世界大会」というタイトルだった。
 2009年は、読売テレビの広告収入の赤字と地デジの設備投資などに伴う全社的な経費削減を理由に開催を休止するが、2010年は開催予定。
 全面休止になるのは 1997年の 台風9号直撃のため初の競技全面中止になって以来12年ぶりとなる(天候が原因ではない理由での全面中止は史上初)。

  『鳥人間』は読売テレビの登録商標である。


 サイトに「毎年必ず見るもの」という書き込みがある。
 「箱根駅伝、鳥人間コンテスト、そしてロボコン」というのがあって、したりとニンマリしてしまった。
 好きな人は、トドメもなく好きだ、ということなのでしょう。
 日本からビデオを送ってもらっていた時代があった。
 お好みは「クレヨンしんちゃん」に「ハンターХハンター」「特命リサーチ200x」であったか。
 ある年のことである。
 届いたビデオをセットして見始めた。
 とんでもないことが起こった。
 ただただ、手を握り締めて、画面に見入ってしまった。
 「ウーン!」
 それがこれ。

 勝手にパクリます。

「鳥人間コンテスト出場」日記  飛べ、栄光の大空へ!
http://user.cnet.ne.jp/t/takasada/tori/tori_index.htm


● 琵琶湖を爽快に飛ぶ人力飛行機

「鳥人間コンテスト」とは、読売テレビが毎年7月下旬に、琵琶湖東岸の彦根市松原水泳場で開催している大会(鳥人間たちの祭典)です。
この大会の模様は毎年テレビ放送されていますので、皆さんもご存知だと思います。
もう20年以上も続いている長寿番組です。

「雲のように雄大に、そして鳥のように自由に、この大空を飛んでみたい。
空の青さに染まり、一陣の風にただよい、一羽の鳥と化す。
この素朴にして壮大なるロマンの追求こそ、鳥人間コンテストの精神なのであります。」というキャッチフレーズで番組が始まります。

一般の参加者(鳥人間たち)が手作りの飛行機を作ってきて、高さ10メートルのプラットホームから飛び立ち飛行距離を競争する大会です。
毎年参加している常連チームもいて、年々飛行距離は伸びています。

出場部門は滑空機(グライダー)部門と人力プロペラ機部門に分かれます。
滑空機(グライダー)部門とは、プロペラを使わずにグライダーのように滑空して飛行距離を競います。
人力プロペラ機部門とは、パイロットがペダルを漕いでプロペラを回して、その推進力で飛行して飛行距離を競います。


● プラットホームから飛び立つ人力飛行機

プラットホームから安全に発進できる自作の人力機ならば、翼幅、全長、重量などについて制限は一切ありません。
滑空機、人力飛行機、人力ヘリコプター、人力羽ばたき機など何でもかまいません。

1998年の大会では、人力プロペラ機が飛行距離「23km」という大記録を達成し、鳥人間たちの長年の夢であった「対岸」に、たどり着きました。

「人力飛行機」という言葉の響きに、魅力を感じませんか?
「自分の力だけで大空を飛びたい」というのは大昔からの人類の夢です。
それを実現してくれるのが「人力飛行機」です。
自転車にでも乗るような感覚で「人力飛行機」に乗って、みんなが大空を飛べたら良いですね。

世界的には、115kmの距離を4時間もかけて飛んだ人力飛行機や、イギリスとフランスの間のドーバー海峡(英仏海峡)を3時間かけて横断した人力飛行機もあります。

私達はこの「鳥人間コンテスト」に2回出場しました。
1回目は人力プロペラ機部門に、2回目は滑空機(グライダー)部門でした。

この時の様子を紹介します。
第1回目出場「人力プロペラ機部門」
第2回目出場「滑空機(グライダー)部門」


 このビデオ、1998年に「23km」というとてつもない記録を達成したときのビデオだったのです。
 「23km」ですよ。
  どのくらいの距離かというと、ハーフマラソンの距離より長い。
 鍛えられたマラソンランナーは21kmをだいたい1時間で走る。
 それよりも長い。
 着水したときは、「フー」と息がもれ、肩が落ちました。
 それほど緊張してみていたということ。
 ついでにその栄光の機体もパクリます。
 

<鳥人間コンテスト>

人力(じんりき)プロペラ機部門(きぶもん)
  飛んだ日: 1998年8月1日
  (第22回鳥人間コンテスト選手権大会)
  飛行機名(ひこうきめい):
        極楽(ごくらく)トンボ号(ごう)
  パイロット: 中山浩典(なかやま ひろのり)
  飛んだ距離(きょり): 23,688m

   
● 栄光の「極楽トンボ号」 


 構造はというと、人が乗って自転車のようにペダルをこぐ。
 これが、小さなプロペラを廻し、前に進む推力を生み出す。
 よって、こぎ続けないと、飛行機は墜落する。
 一時でも休んではならない。
 疲労が発生しないように、常に一定のペースで「休みなくこぎ続ける」、ということが眼目である。
 では、空中に浮き上がっている力、すなわち揚力はというと、この飛行機が前飛ぶことで、大きな翼の上と下を流れる空気の流量の差で生み出す。
 ということは、翼の大きさが大きいほど揚力が大きくなる、ということになる。
 が、あまり大きな翼は脆くポキリと折れる。
 まとめると、
〇長時間一時たりとも休まずこぎ続ける操縦者を養成すること
〇できるだけ大きな面積をもつ翼を作り出すこと  
 これを最大課題にして、多くのグループが年に一度の大会を目指して訓練研究に励み、挑戦してくるのである。

 鳥人間コンテストの風景をビデオで。

鳥人間コンテストの風景
http://www.youtube.com/watch?v=XvJM_-aLIp0

鳥人間コンテスト1,2
http://www.youtube.com/watch?v=5kv-JiamsUQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=oz1Qe15ZY4Y&feature=related


 この23kmというとんでもない記録は参加者たちのチャレンジ精神を一段と燃やし、かきたてました。

 そして、たった5年後の2003年に日大チームが「34.6km」という、もうもう開いた口がふさがらないような記録を達成してしまう。
 
 こりゃいかんと、規則が改正される。
 Wikipediaから。

【折り返しルール】

従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル・航空研究会のMowe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。
この際の経緯は以下の通りである。

* まず東北大(この年3位)が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。
* 本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。
* 本人たちは琵琶湖大橋の下を潜ろうとしていたが、着水させるよう勧告が出た。
* 本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水(琵琶湖大橋超えを行った場合や勧告無視の場合は、本来は規則違反で失格となる)。
* その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。

 このように明らかに問題のある進路設定になっため、翌第28回(2004年)からはルールが変更され18kmで折り返しするというルールが制定された。
 18kmを超えると大音響のサイレンが鳴り、折り返しが可能になる(これにより往復で36kmが最長記録として出せるが、スタートで再度折り返しできるかは不明。
 第32回(2008年)の大会ではスタートで折り返しを行わず着水した)。
なおこれは折り返しを義務付けるものではなく、従来通り琵琶湖大橋や琵琶湖北端に向かうことも可能である。
 この場合の記録は、単純にプラットフォームからの距離となる。
 当然、大橋越え(潜り)や地上飛行は失格となるため手前で飛行を打ち切らなければならないので折り返した場合より最長記録は短くなる。
 しかし気象条件などにより折り返しはリスクが高い可能性もあり、参加者の判断が勝敗を左右することになる。


 折り返しというのは、条件がひじょうに悪くなる。
 気象状況で一番悪いのは雨。
 何しろ広ーい面積を持つ翼さ。
 そこに雨が落ちれば、機体を押し下げる力となって働く。
 水滴がつけばその分、機体が重くなる。
 何しろ軽く軽く、さらに軽く作るのが機体設計の根本。
 雨水の重さとてバカにならない。
 次は風。
 何しろ軽い機体。
 ちょっとした強風でもバランスを失う。
 心地よい向かい風が絶好の風向き。
 が、折り返すと好条件が悪条件に変わる。
 機体のスピードと風の速度が同じだと、推力を奪われ、機体は有効に飛ばない。
 それが一般常識論。
 折り返すと往復で36km。
 これはチョット無理。

 ビデオを。

 第32回(2008)鳥人間コンテスト
http://www.youtube.com/watch?v=IOMrnyO3YC4&NR=1


 その2008年のビデオを載せておきます。

早稲田大学
http://www.youtube.com/watch?v=2Zb8Chzygb4&feature=related
芝浦工業大学
http://www.youtube.com/watch?v=IYqpsFlV8xM&feature=related
大阪府立大学
http://
www.youtube.com/watch?v=knP2fXpO78Y&featurlated
名古屋大学
http://www.youtube.com/watch?v=nNa_xO58mMQ&feature=related
筑波大学
http://www.youtube.com/watch?v=pQ4pRbfbrp8&feature=related
龍谷大学
http://www.youtube.com/watch?v=iIQ4xAnVv8U&feature=related
首都大学東京
http://www.youtube.com/watch?v=hG_U1Tlr860&feature=related
広島大学
http://www.youtube.com/watch?v=ysZUJ_ERrhQ&feature=related


 この年、といっても昨年、この記録がいともアッサリと出現したのである。
 行って帰ってきた記録「36km」が。
 コンデションに恵まれた片道コースの36kmではない。
 これも、もうもう別の意味で、とんでもない距離。
 そのビデオをどうぞ。

東北大学 Windnauts 36kmゴール[鳥人間コンテスト2008]
http://www.youtube.com/watch?v=uZKsx4h-u8U&NR=1


 いったい、人間はどこまで、オダテに乗って空を飛ぶのだろう。


 グライダー型では

津田沼航空研究会
http://www.youtube.com/watch?v=Y6PkwYUAs0U&feature=related



 「鳥人間コンテスト」と入力して検索してください。
 大部のサイトが出現します。
 たくさんの You Tube があり、いろいろな鳥人間の Video が楽しめます。
 楽しんでください、思う存分。


 <つづく>



 野鳥余話 [home]


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2009年7月6日月曜日

GCマラソン:田上麻衣とマイケル・シェリー


● アンナ・ブライ[Anna Bligh]クイーンズランド共和国首相
  ハーフマラソン2時間6分 パーソナルベストで走る
  Gold Coast 「The bulletin」より





● 火炎ダンス



 GCマラソンについてはついつい筆にのって書いてきたが、もう一つ書いて終わりにしたいと思う。

 スタートはサウスポートにあるオーストラリア・フェアーというショッピングセンターの前。
 この日はゴールドコースハイウエイが全面交通止めとなり、この道を使って1万人を超えるのランナーがそれぞれの種目にあわせて、時間差でスタートしていく。
 ゴールははす前のアンザックパーク。

 昨日がその当日であり、朝方早くショッピングセンター内の駐車場に車を止めて出たとたんに、ハーフがスタートしてしまった。
 よって、見られたのは10kmランのスタートから。


● 10km start

 ちなみにマラソンのスタートは見られない。
 なぜなら、その時間は10kmのゴールと、それに続くハーフのゴールがあり、見物のために道路沿いからアンザックパークへと移動していってしまうからである。
 マラソンのスタートを見るか、ハーフのゴールを見るか、二者択一をせまられるということになる。


● レッドマン(左)と火炎ダンス

 
 スタート横の広場では火炎ダンスをしていた。
 そこをマラソン出場のレッドマンが駆け抜ける。
 ダンスは今年は暖かいので、この恰好でもいいが、気象が悪いと見ているほうが寒くなってくる。
 今年は目の保養で。


● Gold Coast 「The bulletin」より

 レッドマンの正式名称は「キャプテン・アカウンタビリテイー」だそうです。
 和訳だと「キャプテン・責任マン」かな。


 さて、ゴールのスタンドから。


● ここがゴール




● 10km 男子・女子のトップランナー


 さてマラソンだが、このゴール前の道路付近は30kmあたりになる。
 トップでやってきたのはケニヤのランナー。




● 女子はゼッケンナンバー「52」
 
 次はゴールへの取り付け道路へ入ったすぐの直線コースで待つ。
 悠々の走りでケニヤランナーがやってきた。


● 男子のトップランナー

 ゴールタイムは「2時間11分58秒」
 残念ながら2時間10分を切る記録(サブテン)は今年も出なかった。

 女子だが、トップが入ってきたころは、なんと「2.25km」の保護者付き添いのジュニヤダッシュもゴールに向かっていた。


● 女子のトップランナー、が、すぐ後ろに2位のランナーが続く

 左のコースは小さな子どもたち。
 そして右が、女子のトップランナー。
 が、である。
 なんと、その後ろに2位のランナーが迫ってきているのである。
 せいぜい20mくらいの差。
 
 このコース地図で見るようにプールの外周道路(黒い部分がプールエリア)をグルリと回るようにできている。



 よって、取り付け道路に入ってすぐにダッシュでラストスパートなどかけたら、とんでもないことになる。
 下の写真は取り付け道路に入ったところから撮ったもの。



 先に見えるゲートは、単なる歩行者用の袴線橋。
 ここで間違ってはならない。
 その先にコースは続く。







 42kmの看板がやっと見えてくる。
 ここからが勝負になる。



 カーブを大きくとって、プールを回りこむ。



 その後ろにゴール・フィニッシュが待っているのである。



 取り付け道路の入って有に400mはある。
 ということは、日本でいえば、陸上競技場のゲートをくぐって、いよいよトラックを1周というところである。
 まさに、ここから熾烈な最後の戦いが待っていることになる。
 追い上げる2位のランナー。
 逃げ切れるかトップランナー。
 ゴールへの直線コースへ入った。
 ピタリと背後に着いた。


● ほぼ並ぶ

 おそるべきデッドヒート。
 女子の1位2位はたった「1秒」差であった。
 と、インターネットには載っていた。
 が、新聞の発表では「同タイム」の1位と2位。
 体一枚の差。
 逃げ切った。


● 逃げ切った


● 表彰台の二人


● Gold Coast 「The bulletin」より


 3位が入ってきた。
 「エー」
 この体型と顔、どこかでみたことがある。


● 女子の3位がきた

「小さな体に、まん丸の顔」
 もしかしたら、大学女子駅伝で筑波が優勝したときのアンカーを勤めた可愛い子ちゃん?
 名前は、ええと?
 昔のことでちょっと覚えていない。
 ゴールで放送のマイクが流れてきた。
 ちょっと雑音が多く聞き取りにくい。
 「ジャパニーズ ランナー マイ タ◇◇」と言っているようだ。
 「マイ」とすると、記憶におぼろげにあるのは「田上マイ」
 「マイ」は「舞」ではなく、たしか「麻衣」のような気がしたが。
 このときの大学駅伝は相当に昔のこと。
 友人が送ってきてくれたビデオに入っていた。
 
 早速インターネットで調べてみた。
 確かに3位に「Mai Tagami」が入っている。
 「田上麻衣」で調べてみた。
 彼女が筑波大学のアンカーを勤めたレースは1999年で正式名称「全国大学女子駅伝」
 ということは、なんと10年も昔の話になる。
 このレース、2位3位の追い上げがすさまじく、1年生になったばかりの泣き顔の田上が追い詰められながらもようように逃げ切ったもの。

 このときのレースをコピーします。

1999全日本大学女子駅伝
http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/ekiden/099-200/99anjl.html

城西大、京産大、筑波大 3強がそれぞれ個性ある作戦!

 3強のオーダー編成には、それぞれの思惑と個別事情がからみ、それがレースのゆくえを複雑なものにして、よけいに観戦者の興味をそそった。3強にうち城 西大はいまや大学女子ナンバー・1の赤羽有紀子をいきなり1区に起用してきた。準エース格を故障で欠いたせいか、序盤で流れを造って一気に押しきろうとい う作戦。京産大は1区では出血覚悟、2区以降で追い上げ作戦。筑波は1区・山中美和子、2区・岡本由美子を配して、明らかに逃げ切り狙いである。

 今大会の見どころは2つあったが、そのひとつは第1区であった。最近の駅伝は前半重視が鉄則、今大会でも各校とも1区にエース級の選手をぶつけてきた。 区間新記録が出たのは、やはり5千Mを15分台で走るビッグ・4の顔がそろったからだろう。赤羽有紀子(城西大)、山中美和子(筑波大)、伏見谷恵子(大 阪学大)、加納由理(立命大)が前半から先頭を突っ走った。7キロ付近で赤羽と伏見谷がスパート、「力強さ」と「華麗」……、両者の走りはまるで好対照で おもしろかった。中継所では赤羽がわずかに先んじたが、両者ともに区間新の快走、実に見応えのある闘いだった。

 1区で城西がトップに立ったのは、ほぼ予定通りだったろう。筑波は34秒遅れの4位、そして京産大は1分7秒遅れの8位である。この時点で1分内外なら まだ圏内というところか。城西は2区で捕まったのが誤算だったろう。5キロ地点で筑波の岡本由美子は城西の友金有香に追いついてしまう。4年生の岡本はさ すがにチームリーダーらしく自分の役割をきちっと果たした。大学生活の最後、初優勝にかける執念を見る思いがした。

つなぎの1年生ランナーが勝負をきめる!

 出場チームのなかで唯一17回連続出場の筑波に初優勝をもたらしたのは、3区、4区の1年生である。昨年は田村高校のアンカーとして優勝のテープをきっ た3区・菅野勝子は岡本から受け継いだ14秒の差を46秒に、4区・山嵜麻子は1分06秒にひろげてしまったのだる。さらに5区の猿田なつ奈も区間1位の 走りで、1分あまりの差をキープしたまま、タスキはアンカー・田上に渡る。この時点で筑波の初優勝はほとんど決定的となった。

 レースはそれでも最後まで目を離せなかった。最終区で中村望(立命大)と丹菊りつ子(城西大)が並んで追いあげ、1分以上あった差を4キロ地点で50秒 に、残り1キロ地点では20秒に詰めてきたのである。両校はあわやトラック勝負か……というところまで追撃して、最後の見どころをつくってくれた。かろう じて逃げきった筑波のアンカー・田上麻衣、顔をしかめて苦しそうだったが、ゴールの瞬間、満面笑みでくしゃくしゃになったさま、いかにもあどけなくて、お もしろかった。



 ちなみにここにでてくる赤羽有紀子は今年の世界陸上マラソンに渋井陽子とともに出場する、日本初の「ママさんランナー」の赤羽です。

 が、その後の田上については何も知らないのです。
 箱根駅伝は送ってもらっていますが、他のレースとなるとなかなか手に入らず、よほどのレースの優勝者でないかぎり、誰がどうしたというのはなかなかわかりづらくなっています。
 よって、田上を見たのは実に10年ぶりということになります。
 おそらく、10年前の田上を覚えていたというのは、上の記事のように、よほどにこの駅伝レースでのアンカーとしての田上の印象が深かったのではないかと思われます。

 その彼女に一瞬ですが、ここで出会おうとは思いもしませんでした。
 田上は今、メルボルンにいてオーストラリアのレースに参戦中らしいです。
 それもインターネットから。


田上麻衣の海外レース体験記 
2009.06.13
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090613OverseasRaceExperienceRecord;jsessionid=3279BF1576573511C92306047A903FA4

田上麻衣の海外レース体験記 パート2
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090707OverseasRaceExperienceRecord

田上麻衣
● 田上麻衣

国内はもちろん、海外レースでも数々の好成績を残した実績を持つランナー。
最近ではアテネ・クラシックマラソン優勝。
日本の一般ランナーに海外レースの魅力を知ってもらうために今回の連載をスタート。

海外レースに挑戦してみませんか?
ちょっとしたマラソンの出会いから生まれたオーストラリア、メルボルン滞在。

1年の予定ですが、滞在中に色々なレースにチャレンジして楽しむつもりです。

そして、この連載を通じオーストラリアのランニング事情や海外レースについて知ってもらい 多くの人が海外レースに興味を持って、チャレンジしてもらえたら良いなと考えています。

【 所属クラブ 】アルゼアスリートクラブ
【 生年月日 】1980年1月22日
【 クラブ遷移 】
神戸市立広陵中学
兵庫県立西脇工業高校
筑波大学
ユニクロ女子陸上部
アルゼアスリートクラブ(佐倉アスリート倶楽部)
【 主な実績 】
Jr.オリンピック 800m3位
全日本中学陸上 800m6位
全国インターハイ 3000m6位
全国高校選抜陸上大会 5000m3位
なみはや国体 3000m3位
全日本大学女子駅伝 99’、01’ 優勝
ボストンマラソン 8位
大阪国際女子マラソン10位
北海道マラソン
03’ 3位        
04’ 2位
06’ 2位
 「田上麻衣の海外レース体験記 パート3」は、このGCマラソンになるのではないかと思っているのだが。


 この大会における女子の最高記録は浅井えり子が1993年につくっている。
 JALはホノルル、ゴールドコースト、グアムを3大マラソンと位置づけ、そのスポンサーをしていた。
 JALの肝いりでこのレースには日本からテレビクルーが入り、地元テレビ局を通じて全コースの完全中継を放映した。
 以前にテレビ中継が行われたという話は聞いていないし、その後もない。
 ということは、それが最初にして最後の全コース中継だったということになる。
 このとき、浅井えり子は「2時間29分29秒」を記録している。
 この大会で2時間30分を切った女子ランナーは、今もって彼女一人しかいない。
 JALはバブルの終焉とともに、ゴールドコースト、グアムから撤退し、現在はホノルル・マラソンにのみその名を残している。
 彼女については所属する実業団の関係で多摩川土手のサイクリングコースを練習場にしており、そこで2,3度見かけたことがある。

 なを、この大会の顔であり、日本女子陸上界にあってオリンピックに偉大な足跡を残した有森裕子の優勝は2001年になる。


 最後に半分個人的な話で。

 男子のハーフマラソンのゴール前、タンザニアのランナーと競っているのはマイケル・シェリー[Michael Shelley]。
 地元ゴールドコースト出身の期待のランナー。
 地元出身者を「ゴールドコースター:Gold Coaster」と呼ぶ。
 よってゼッケン「1」をつけている。



 「2006年国際千葉駅伝」ではオーストラリア代表メンバーとしてエントリーしています。
 と、いっても誰も知らないでしょう。


2006国際千葉駅伝
http://wwwz.fujitv.co.jp/sports/ekiden/chiba2006/list_men.html

オーストラリア(AUS)
1 Michael Shelley マイケル・シェリー 23歳
2 Liam Adams リアム・アダムズ 20歳
3 Martin Dent マーティン・デント 27歳
4 Lee Troops リー・トループ 33歳
5 Brett Cartwright ブレット・カートライト 33歳
6 Erwin Mc Rae エルウィン・マクロウ
7 Collis Birmingham コリス・バーミンガム 21歳


 息子のハイスクールの同級生。
 一度だけ会ったことがある。
 サウスポートのライフガードが主催したファンランに行ったとき、息子に声をかけていたのがマイケル。
 ブリスベンの人気なイベントであるファンラン「ブリッジ・ツー・ブリスベン:Bridge to Brisbane」の上位入賞の常連。





 ちなみに、このファンラン、「Gateway Bridge」というブリスベン空港に通じる有料橋から市内の公園まで走るのだが、当初は「Bridge to Bay」でこの橋からブリスベン湾に向かっていた。
 が、これでは人が呼べないので真反対の市内に向かうコースに変更された経緯がある。
 これで、参加者が増大し、昨今ではあまりの参加数で一度にスタートすることができず、時間差で数回にわたって「go」をかけるという変則的な運営がなされている。

 マイケル・シェリーだが主に10kmで走っていたが、最近ハーフに転向した。
 今回は1秒差の2位。
 そのうちフルマラソンへのステップアップがあるだろう。
 マイケルの活躍を期待しよう。






 マイケル・シェリーのニュースです。

ABC Gold & Tweed Coasts
http://www.abc.net.au/local/stories/2009/07/01/2614001.htm

Tens of thousands of people will line up on Sunday for this year's Gold Coast Marathon, from some of Australia's best runners to those competing for the experience.





 なを、クイーンズランドの著名なマラソンランナーはブリスベン在住の「パトリック・キャロル:Pat Caroll」です。
 千葉国際駅伝にも参加しており、このときは急遽参加できなくなったモネゲテイに代わってアンカーを勤めました。
 マラソンでは別府大分マラソンで優勝しています。
 GCマラソンは1984年、1985年と連覇(連覇は他にケニヤのキプロプが記録しているだけである)しており,1988年、1997年とあわせて計4回優勝し、これはおそらく大会史上で、もはや破られることのないレコードだと言われています。

 GCマラソンの話は、これで終了します。



[◆ その後 ◆]


25today スポーツ - 2009年8月09日
2009年「シティ・ツー・サーフ」ファン・ラン開催
http://www.25today.com/news/2009/08/20092_1.php

 世界最大規模の「7万5千人」参加!
 じっとしているとまだまだ肌寒い8月9日の日曜日、シドニーでは毎年恒例のシティ2サーフ・ファン・ランが開かれ、ハイド・パークからボンダイ・ビーチまでの14kmを7万5千人が走ったり歩いたりした。
 この種のイベントとしてはいまや世界最大規模の立場を揺るぎないものになっている。
 今年は第39回目を迎えた。

 毎年本格派も参加するが、珍奇をてらったランナーが人気を呼んでおり、今年はマンガ・キャラクターや「歩くきのこ」のパレードもあった。
 甲冑に身を包んだ半裸のスパルタ戦士がおばちゃんグループから喝采を受けていた。
 また、「インフルエンザ症状の人は参加しないように」との主催者の案内があったが、白衣にマスクという医師風グループは、死から甦ったような残忍な雰囲気の看護婦風グループと競い合っていた。

 今年の優勝者は、ゴールド・コースト在住の学生、「マイケル・シェリー(25)」
さん
 2008年は惜しくも第2位にとどまったが、今年は「41分2秒」と、これまでの最高記録である1991年のスティーブ・モネゲティさんの40分3秒に1分足らずのところまで迫っている。
 「今回で出場3度目だが、本当に三度目の正直になった」と語っている。

 女性ランナーでは、聾唖水泳インストラクターのメリンダ・バーノンさん(23)が、47分46秒で優勝したが、最高記録には2分以上及ばなかった。
(AAP)


 おそらく、田上麻衣もこの著名なファンランには参加していることでしょう。
 何しろ日本にいたころ、日本のテレビで一週間遅れでしたが全コースのテレビ中継を放映したほどのイベントですから。
 坂のあるコースで、このときの優勝者はアフリカのランナーでした。
 「田上麻衣の海外レース体験記 パート4」は「シテイ2サーフ」かな。

 ちなみに、「パート3」はやはりゴールドコースト・マラソンでした。
 食べ物の話を抜粋で。

田上麻衣の海外レース体験記 パート3
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090809OverseasRaceExperienceRecord

 会場では大きなオーロラビジョンが設置されており、レース中継を見る事が出来ますし、いろいろなお店もあるので家族で楽しむ事も可能です。
 私が思わず笑ってしまったのが、これ。
 「トン汁もあります。 フルーツ食べ放題」の「のぼり旗」です。




 
「City2Surf 2009」をビデオで。

The Sun Herald City2Surf 2009
http://www.city2surf.com.au/
http://www.youtube.com/watch?v=OmyTH2iWg2w&feature=related

コース案内ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=-otfv2B9owg&feature=related


 42枚の写真がみられます。

Sydney 
City2Surf 2009 Run
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2009年7月4日土曜日

GCマラソン:3kmモーニング・ラン


● 有森裕子と3kmモーニング・ラン



 ゴールドコースト・マラソンの前座イベントが行われた。
 今年はなんともあったかい。
 7時30分スタートのマラソン(ハーフは6時20分)だが、前日の今日のその時間、まったくもって暖かい。
 もし、明日もこの調子ならおそらく10キロもいかずに、汗だくになり、30キロあたりでリタイヤ続出ということになろう。
 といってもそこでやめるわけではなく、残りを歩くことになるであろうから、参加者にとっては「最低記録更新」というすこぶる有難くない栄誉が待っているということになる。




● じょじょに人が集まってくる。

 場所はサーファーズパラダイス。
 以前、同じここで「バスウエイ開通記念 ゴールドコースト=ブリスベン・ウルトラマラソン」が行われたことがある。
 朝5時、ビーチからスタートしたが、まだ日は出ておらず、ビーチは真っ暗。
 ただ、やたらと波の音が聞こえていた。
 強力な照明灯を2基用意し、それでスタートラインを照らしていた。
 ゴールはブリスベン川沿いのサウスバンクであった。
 3時半過ぎ、サウスバンクに廻った。
 5月のことであったが、3時を過ぎるとこの公園のお客は帰りはじめる。
 84キロ地点。
 あとゴールまで400m。
 ここには何人もの女性ランナーが1日走り続けて、ようやくゴールできる感激で涙を流し、動かなくなった足を引きづりながら、目の前の、でもそれが遠いとしか感じられない体をだましてフィニッシュへ向かっていく感動的な姿があった。
 このウルトラマラソン、42kmで5時間、ゴール地点では11時間を超えると失格になるルールがあった。
 「間に合った」、ゴール地点では泣きじゃくっていたランナーも多かった。


● ゴールドコースト=ブリスベン・ウルトラマラソンのコース

 ちなみに参考までにこのときのコースを簡単に紹介しておきます。
 ビーチを2キロほど走り、ザ・スピッツへの付け根で陸に上がり、GCマラソンの復路コースを逆向きに内海沿いをペリカン・シーフードまで行き、GCハイウエイに入ります。
 ムービーワールド前でモーターウエイをくぐってMac(ヘレンズベイル・マクドナルド)の前が21km。
 ここからはモーターウエイが建設されたとき、あわせて整備された東側の脇道を北上する。
 ローガン市のハイパードームという大きなショッピングセンターの横を通って、「エイトマイルプレインズ:Eight Mile Plains」というバスウエイの終点からバスウエイ(バス専用道路)に入り、サウスバンクのステーションから出て、サウスバンクの公園内を2kmほどでゴールというコースになります。
 このウルトラマラソンはアンザックデイ協賛で4人で21kmづつのリレーもあって、それには、アーミーが擬似鉄砲を担いで軍靴で参加していた。
なを、ハーフマラソンはこのバスウエイの折り返しで行われ、フルマラソンはウルトラマラソンに席を譲って開催されませんでした。


● ウルトラマラソンのコース高低図
  65キロを走ってきて見上げるような50mの上りコースがある。
  これはまじにきつい、きつすぎる。
  ここは一般ランナーの誰もが歩いていた。
  が、本当にきついのは下り。
  まじにヒザの関節に荷重がかかり、とんとんと足をつくたびに痛みが出る。

 はじめてGCマラソンのスタートを見たときのことだが、冬場の朝の7時はすこぶる寒く、ランナーの多くは上着をひっかけ、スタートとともに付き添いの家族に脱いだ上着を渡していた。
 そういうサポーターのいない人はどうするか。
 ゴミ袋を上と左右を少し破ったポリ袋をかぶって、スタート列に並んでいた。
 ゴミ袋の上に頭が載っているというなんとも愉快な恰好。
 コゲ茶と白のポリ袋人形の行列である。
 号砲が鳴って長い列がナマズのように動きだす。
 そして、ランナーがいなくなったスタート地点には、あちらこちらに、このゴミ袋が散乱していた。
 どこでも見られる、市民マラソンの寒空の下でのスタート風景である。
 それが、このマラソンの第一印象「サムーイ」であった。

 が、年々暖かくなり、冬でありながら夏マラソンのような雰囲気になってしまい、恒例のゴミ袋スタイルには昨今とんとお目にかからなくなった。


● 有森裕子の挨拶

 さて、たった3キロ。
 ビーチランとあったので砂浜を走ると思ったが、そうではなく歩道であった。
 でもその前に準備体操を。




● この遊歩道を1.5キロ走って戻ってくる

 いよいよスタート。
 ビーチ沿いの歩道には距離道標がちゃんと立てられている。
 この歩道、朝方は多くのウオーカーやジョガーでにぎわうところ。
 観光に力を入れるお役所もそれように、環境をしつらえてある。
 有森裕子を先頭に走り出す。




● いよいよ、スタート

 せいぜいのところ、20人30人くらいだろうと思っていた。
 ところがなんとなんと、途切れることなく列が続く。
 オーオーすごい。
 この狭い幅の歩道に人が溢れている。
 300人くらいはいただろう。


















● いるわいるわのランナーたち

 3キロだ、何とかなるだろう、私も走りだした。
 でもやはりダメ。
 1/10ほどの300mくらいでリタイヤ。
 足に負担がかからぬようにと、ゆっくりゆっくりだったのだが。
 しかたない、ブラブラと歩きにする。


● 600mの道標

 あらら、折り返してきたランナーに遭遇。
 やむえないと私もここで折り返す。
 実際は、救われた感じ。














● 復路は列が長くなる。旗が最終ランナー。

 もときた道を、600mならわずかな距離。
 でも、スーと先にいってしまったランナーを追うのはいかにも惨め。


● 帰りがけに撮った道標
  左右対象というのはまるで面白くないが、別々だとちょっと振り返ってしまう。


 ゴール地点にもどったら、皆はビーチに出てストレッチをしていた。
 3キロを1時間で走るのかと思っていたが、走った前後の体操とストレッチを含めての1時間。
 やっぱり見るだけでいい。
 でも3キロとはいかないが、往復1.2キロは歩いて走ったのだ。
 





● ストレッチの後はお日様に向かって、ウーラー


 マックのブレックファーストは昔から決まっていてホットケーキ3枚、バター2ケ、メープルシロップ1ケ。
 バターと砂糖の塊みたいなもの。
 頑張って、がんばって、ガンバッテ、負けるなデブ。
 「めざそう、肥満大国へ」

 マックの前にハトがいた。
 そのマダラがなんともおかしい。
 ついつい写真を撮るのに追い回してしまった。


● なんといおうか、変な模様



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