2009年10月31日土曜日

ささやかな、ハロウイーン2009


● ハロウイン:Halloween



 今日、10月31日は「ハロウイン:Halloween」である。

 以前住んでいた家は郊外地で、各敷地内に雑木林があるほどであったため、その住宅地を隅から隅まで歩いて回ると1時間以上は楽にかかった。
 よって、20トントラックを敷地に止めて仕事をしている人もあり、また馬を飼っている人もあった。
 ヘルメットに身をかため、パカパカと歩道をゆくのは、住宅地の女子中学生であり、なかなかカッコいい。
 つまりさほどに、遠い郊外地であったということ。
 そこでの最初のハロウインは、たった2人であった。
 最近はパックジュースを用意しておくが、だいたい50個ほど。
 昨今は30人ほどであり、それがその住宅地のハロウインに参加する子どもの数の概数ということであろう。
 コミュニテーがあり、ハロウインが近づくと、郵便箱にその旨のビラが入っている。
 「10月31日はハロウインです。子どもたちがまわりますので、よろしく」
 といった内容のもの。

 ここに引っ越してきて初めてのハロウイ-ン。
 まったく読めない。
 というのは、ここはセキユリテイー・ゲートで区切られた団地なのである。
 約100戸ほどある。
 大きさは3ベッドルーム。
 となると住んでいる人種が限られる。
 まずは若い人で2人、あるいは3人でシェア(共同生活)している人たち。
 次は夫婦あるいは子ども連れで、子どもは小学生クラスまでで2人までだろう。
 3人以上になると、戸建て住宅に引っ越していく。
 最後はリタイア組。

 子どもが外から入ってくることはないから、団地内の子どもがハロウインの対象になる。
 子どものある世帯が1/4として、2人の子どもとすると、50人という数字になる。
 通常なら団地内にコミュニテーがあると考えられるが、ここは出入りの激しいところ。
 100戸ほどありながら、常に1戸、あるいは2戸のレンタル募集が出ている。
 また、個々の住戸にはオーナー(所有者)がいて、売りに出している物件もある。
 ちなみに、我が家の所有者は名前からいくと中国人のようである。
 投資で買って、レンタルに出しているということなのだろう。
 それをまとめている管理人がおり、団地の管理と団地内物件の不動産売買をしている。
 そんなわけで、所有者でありかつ居住者は少なく、よってコミュニテーが成立しない。
 前の住宅地と同じだろうかと、郵便箱(集合郵便箱)を手まめにのぞいたが、やはりそれらしい案内は入っていなかった。
 
 これではまるで読めず、上記の計算から前と同じく50個用意すれば大丈夫だろうと考えた。
 とりあえず48個用意した。



 さてさてだが。
 だいたいハロウインは6時から8時まで。
 7時になっても誰も来ない。
 考えてみれば、若い住人たちは、いくら隣人だとはいえ一時の住まいで、ガキに付き合っていられるか、ということになるし、リタイヤ組はセキュリテー・ゲート付きの団地に住んでいるのだ、無遠慮に踏み込まれてたまるか、ということにもなる。
 とすれば、もしかしてこの団地ではそういう騒状行為はやわらかく禁止されているということもありうる、と考えても大きく間違ってはいないだろうと思ったりもした。
 この稿のタイトルは「
みじめな、ハロウイン」となるかな、などと先読みしたりした。

 トントントン。
 絶対に夜叩かれることのないドアが叩かれた。
 ちなみに、網戸は開けはなち、玄関灯はつけて、いつでも来られるようにしておいた。
 やっと、きたか。
 男の子。



 ちょっと、なんともハロウインの仮装にしてはお粗末だな。
 フェースペインテイングならいざしらず、ただ顔に線を引いただけではないか。
 「ハウ、メニー」
 「ジャスト、ワン」
 たった、一人。
 やはり「
悲劇のハロウイン」になりそうである。
 とりあえず、記念に「一人ですが来ました」と書くために写真を撮らしてもらった。

 ほとんど期待することをあきらめかけていた。
 が、表が騒々しくなった。
 「ゴンゴンゴン」
 えらく乱暴に叩かれた。
 ドヤドヤとやってきた。



 「何人だ」、というと「イレブン」と答える。
 父母さんが一緒でどうもまとめて回っているようである。



 この子がリーダー。


 どう見ても、つまらない仮装。
 前の家では、けっこう面白いコスチュームに身を固めて回っており、写真を撮るのが楽しかった。
 今回は、
どうでもいい!
 とりあえず、リーダーの写真をもう一枚撮らしてもらった。

 「Will sing for food」
 エサをやると歌を歌ってくれるようであるが。
 できれば一人で回って声を聞かせてもらえたらと思ったのだが。
 このドヤドヤではちょっと。



 さてさて、このドヤドヤが7時40分。
 以降、8時半まで待ったが、これでオワリ。
 たった2組、12人である。
 あまりにささやかなハロウインであった。



 はけたジュースは1ダース12個。
 残ったのは3ダース36個。

 この団地の概要がおぼろげながらわかってきた。
 総括的に言えば
 「
つまらぬ、ハロウイン
 であった。



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2009年10月25日日曜日

鳥か、UFOか?


● 鳥か、UFOか?



 タウンハウスのごくのどかな午後の団地の風景。
 我が家のリビングから撮りました。
 が、ようく見てください、前の家の屋根のアンテナの上にあたりの空。
 何か黒いものが見えるでしょう。
 拡大してみます。



 ヘリコプター!
 いいえまるで違います。
 ヘリコプターなら機体上部の羽根が見えるはずです。
 それに形がまったく違います。
 鳥?
 うん、確かにこの低さからいくと鳥ということもありうるが、やはり形が違います。
 そう、もちろん「未確認飛行物体:UFO」です。
 「ウソだろう?」って。
 ついに遭遇したのです。

 以前に「UFOとマリーマン」で、ここはUFOの出現率の高いところだと書きました。
 25todayを検索したらUFO記事が出てきましたので載せておきます。



25today 豪州回顧録 第10回:2007/07/11
麻生雍一郎(読売新聞初代シドニー特派員)
http://top.25today.com/column/kaikoroku/2007/0711/index.php
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UFOの出現、18世紀の昔から
バス海峡では詳しい交信記録も

 オーストラリアはUFOの目撃情報が非常に多く、また観測の歴史も長い。
 未確認飛行物体や不思議な発光体はキャプテン・クックがエンデバー号を指揮してシドニー湾に上陸した1770年に早くも観測され、同行した博物学者ジョセフ・バンクスが日記に記録している。
 1793年のニュー・サウス・ウェールズ植民地記録にも不可解な飛行物体の目撃記録がある。
 1800年代になるとシドニー郊外パラマタでの“空飛ぶ機械”の目撃や“飛行するノアの箱舟と地上目撃者との対話”などUFOとの遭遇、接触、対話の事例が次々に現れる。
  当時はまだ飛行機が出現していないのだから目撃者たちが浮遊物体を「機械」や「箱舟」と表現したのは理解できる。
 オーストラリアのUFO研究の先駆者ビル・チョーカーは“Early Australia Historical Encounters”(1997年)の中で個々のケースを紹介し、その解説を試みている。

  1900年代になり、飛行機が登場するとオーストラリアでのUFO情報は形状、飛び方、速度などが飛行機と対比され、より具体的に示されるようになる。
 私が読売新聞シドニー特派員として赴任した1978年にも全オーストラリアはもちろん世界中の話題をさらったUFO事件が起きた。
 この年10月にオーストラリア本土とタスマニア島の間のバス海峡で、当時20歳のフレデリック・バレンティッチさんの操縦するセスナ機が「UFOが自分の機の周りをしつこく飛び回っている」と管制塔に伝えて行方を絶ったのだ。

『セスナ機につきまとった緑色の物体』
 フレデリックさんはこの日、バス海峡のキング島からザリガニを運ぶためメルボルンを飛び立ち、オタウェー岬の上空まで来たところで、午後7時6分、緑色の光を放つ飛行物体が接近して来るのを目撃した。
 セスナ機は7時14分、メルボルン管制塔との連絡を絶つが、その間に次のような交信が残された。

パイロット:「この辺に5,000フィートの高度で飛んでいる飛行機があるか ? 」
管制塔:「ない。どんな種類だ ? 」
パイロット:「確認できない。4つの明るい光がある。自分の機の1,000フィート上を通過した」
パイロット:「東の方角からこちらに近づいてくる。何かゲームでもしているような飛び方だ。スピードは測れない」
管制塔:「そちらの高度は ? 」
パイロッ:ト「4,500フィート。これは飛行機ではない。これは…」
(交信が一時途絶える)
管制塔:「どんな形のものか描けないか ? 」
パイロット:「すごい速さで飛び去った。長い物体だ。それ以上は分からない。今度は直接こちらに向かって来る。静止しているみたいだ。私の機の上で旋回している。緑色の光。外側に金属性の光」
(フレデリックさんはこの後UFOが見えなくなったと伝えてきた)
管制塔「消え去ったと確認できるのか ? 」
パイロット:「その通り。何だったのだろう ? 空軍のやつか ? 」
管制塔:「違う。その付近に軍の飛行機はいない」
パイロット:「エンジンの調子が悪い。ガタガタしている。ああ、また見たことのない飛行物体がこの機の上をつきまとっている」

 この後、管制塔の交信機には長い金属音が入り、交信は途切れた。
 気象官によると、フレデリックさんのセスナ機がUFOと出会ったとされる時間、付近の天候や気流などの条件は極めて良く、パイロットの視界を遮るものは何もなかったはずだという。
 この時のUFOではないかと見られるものは地上からも目撃された。
 キャンベラ在住の技術者ウェーン・ベリュ―氏と妻のポサリーナさんは同じ日の午後8時過ぎ、フレデリックさんがUFOと遭遇したオタウェー岬から約700キロ離れたNSW州のベイトマンズ湾近くで週末キャンプのテントを張ろうとしていた。
 その時、岬の北方約30キロの夜空で非常に明るい飛行物体が急旋回したり、垂直下降するなど激しく動いているのを見た。
 「どんなに優れたパイロットでもあれほどの激しいアクロバット飛行は不可能だし、動き方や速度の変化の仕方は、飛行機とは全く違っていた。セスナ機のパイロットが管制塔に伝えてきたのとそっくりの動き方だった」と2人は証言した。

 空と海からの何日にもわたる捜索にもかかわらずフレデリックさんが乗るセスナ機の行方は分からなかった。
 17歳の時から飛行訓練を続け、航空学校の教官の資格も持っていた彼が遭遇の模様を8分間、しっかりした表現で連絡してきたこと、管制塔との交信の最後に長い金属音がキャッチされたことなどから、専門家たちの間でも何らかの飛行物体が接近したことは間違いないとの見方が多かった。フレデリックさんは間もなく結婚する予定だった。 

  この事件から1年経過したころ、ある新聞に「フレデリックさんは生きている。婚約者の女性に近いうちに帰還するとの連絡があった」との記事が出た。
 が、29年経つ今日までその消息は分からない。
  バス海峡でのUFOは既に19世紀から現れている。
 メルボルンの新聞ジ・アーガスは1896年にバス海峡の上空を「葉巻たばこの形」をした物体が飛んだことを伝えている。



 などと、シリアスに書いてきましたが、残念ながらやっぱり「ウソ」でした。
 UFOではありません。
 空軍のジェット戦闘機です。
 見ればわかるように鳥が飛ぶほどの低空。
 とてつもないほどの爆音。
 それが、住宅地の上空を超低空で飛び抜けて行く。
 なんと常識はずれなことをするのだ!
 高い空を飛行機が飛ぶなら、形は分かる。
 が、この超低空をジェット機が飛んでも、形など認識できるはずもありません。
 ただ黒い小さな塊が超スピードで駆け抜けていくだけ。
 音がなければ、「UFO」に見えてくる。
 
 ここは空軍基地のそばではありません。
 ごく普通の住宅地、それもどちらかという観光地。
 なぜにそんなところにジエットが出現するのか。
 いえ、だからこそ、ジェット機が飛ぶのです?

 この写真はたまたま昨日土曜日に偶然に撮ったものです。
 ただ屋根の向こうを横切っていったものにカメラを向けて、シャッターを押しただけです。
 撮ったときは、まず写っていないなと思っていましたので、ほっぽっておきました。
 夕方、パソコンに入れたら、期待に反して嬉しいことに、ボンヤりと撮れていました。
 なら今度はと狙って撮りました。
 先ほど。
 今日は日曜日。







 通過する間に3回シャッターが切れました。

 なぜ、ジェット機が住宅地の上空を通過したかというと、今日は街中でカーレースが行われており、その賛助出演として空軍がジェット機を飛ばしたのです。
 こちらの軍隊はサービスがよく、先のブリスベンの花火大会にも飛ばしました。
 ちょっと日本では考えられないこと。

 拡大してみます。
 間違いなく三角翼のジェット機です。




 以前は「インデイー・カーレース」が行われていましたが、インデイーは契約切れで撤退しました。
 そのため前座レースであった「V8スーパーカー」が主役で登場してきました。
 「V8スーパーカー」といってもまるでなじみのない名前でしょう。
 ありがたいことに、私も知りません。
 こういうときはWikipediaが一番。


V8スーパーカー(V8 Supercars)とは、FIA公認のツーリングカーレースシリーズである。

1997年より開催されており、オーストラリアで最も人気の高いモータースポーツ。2009年現在、開催地はオーストラリア、ニュージーランド、バーレーンの3ヶ国。

参戦車両は共にオーストラリア製の「フォード・ファルコン」と「ホールデン・コモドア」をベースに改造された車で、エンジンは5L V8 OHV、タイヤ供給はダンロップである。

 単純にいうと大容量の市販車を改造した車によるレース。
 ちなみに、これがレースの主役になることが決まってから、ホテルの予約の解約が殺到し、半分がキャンセルされたという。

 ちなみにそのコースもWikipediaに出ています。

[サーファーズ・パラダイス市街地コース]
サーファーズ・パラダイス市街地コースSurfers Paradise Street Circuit)はオーストラリア・クイーンズランド州の東南地域にあたるサウシュ・イースト・クイーンズランド・ゴールドコーストの公道コース。
 4.47キロメートルのコースには、数個の速いセクションと4つのシケインがある。

 過去には、1954年フォーミュラ1におけるオーストラリアグランプリ(コース名:サウスポート市街地コース)に使用され、他にはサーファーズ・パラダイス・インターナショナル・レースウェイとして、1966年から1987年にタスマン・シリーズ(Tasman Series)、オーストラリア・ツーリングカー選手権などが行われていた。

 サイトから。

V8 スーパーカー V8 Super Cars :メルボルングランプリ2009
http://melhyak.web.fc2.com/today/tokushu/09/f1grandprix/v8supercars/v8supercars.html

 排気量「V8 5.0リッターエンジン」を搭載するオーストラリア製の車で争われるのが、スーパーカーレースです。
 この規格に属する車種は、たった2つしか該当しません。
 フォードモータース ファルコン 5.0L
 GMホールデン コモドア 5.0L
 即ち、「V8スーパーカーレース」とは、「フォードファルコン対GMホールデンコモドア」の戦いということです。
 伝統的に、フォードの青に対して、GMホールデンの赤がカラーです。

 豪州フォードもGMホールデンも歴史上3.0リッター以上の大型車しか生産していません。
 アメリカの親会社の存続さえも危ぶまれている現在、オーストラリア製の2強による「V8 スーパーカーレース」も環境問題が重視される中で、如何に生き残れるか、厳しい時代に来ています。


 「インデイー・カーレース」なら海外からのお客もあって、経済効果は抜群でした。
 しかし、ローカル車のレースともなれば、ホテルはガラガラ、何も街中で交通規制をしてまでやるほどのものではない、周辺に住む住民の迷惑を考えろ、という声もあちこちから聞こえてきます。
 はたしてこのカーレース、サイトの言うように世の動きに逆らってまでして生き残ることが出来るのでしょうか。
 余談でいうと、以前、タクシーに使われていたのはこのフォード・ファルコンかホールデン・コモドアでした。
 今はなにかというと、なんと「プリウス」。
 日本ならタクシーはプロパンガス車ですが、ここはガソリン車。
 昨今のガソリン価格の高騰にタクシー会社は悲鳴をあげ、ハイブリッドのプリウスへ交換してしまった。



 プリウスが間に合わないところは「カムリ」。
 つまり、ここのタクシーはエコタイプの日本車に変わりつつあるということのようです。



 そのうち、大排気量のファルコンとコモドアは自動車博物館でしかみかけなくなってしまうのかな、といささか心配してしまうほど。


 ちょうど今、そのレースが終了しました。
 まあ、市街地レースですから、市販車ぐらいがお似合いのコースです。


 これで終了です。
 でも、これではちょっと面白くない。
 私が撮ったUFOをお見せしましょう。
 場所は今の我が家の窓から。



 左の壁際に小さく白く光っています。
 拡大してみます。



 右から左に動いてきて、建物の向こうへ入り込んで消えました。
 拡大写真と合わせて。







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2009年10月14日水曜日

アルパカ牧場:Alpaca Stud その2






● 寒そうなアルパカ



 Wikipediaで見てみる。

 アルパカは、南米大陸原産の家畜で、ラクダ科に分類される。
 極めて良質な体毛をもっており、古来、衣類をはじめとする生活用品への加工利用が品種改良の目的であった。
 その一方で、毛を採る以外の主だった経済的利用方法はqなく、荷役にさえも用いられなかった。


 近年のかけ合わせの合いの子かと思っていたが、そうではなく古くからある種とのこと。
 シラナンダ。
 ラクダというのは荷物を運ぶ種であるが、それには用いられず羊と同じ利用法だという。
 続けましょう。


 ペルー、ボリビア北部、チリ北部の、海抜およそ3,500---5,000mのアンデス湿潤高原地帯で放牧されており、アルゼンチンなどの南米南部にはほとんどいない。
 また、野生ではほとんどいない。
 現在はアメリカ合衆国やヨーロッパ、ニュージーランドにもたくさんおり、アメリカではペットとして飼っている人もたくさんいる。
 体長さ(頭胴長)は約2mほど、体高(肩高)は約0.95m。
 体重は50---55kg
 時速40km前後の走力をもつ。
 妊娠期間は約11ヶ月で、一産一子。


 50---55kgというと結構軽いのですね。
 これではパワーが出ない。
 荷役に使えるほど強靭ではないということのようです。


 上の前歯は無く、歯の代わりに硬質化した皮膚がある。
 下には牙のような目立つ歯が生えていて、短い草を噛み切って食べている。
 比較的近縁のラマ(リャマ)と共通するが、威嚇・防衛のために唾(つば)を吐きかけるという習性を持つ。
 この唾液には反芻胃(はんすう い)の中にある未消化状態の摂食物も含まれており、強烈な臭いを放つというこの行動によって危害を加える可能性を持った相手を遠ざける。
 常に群れをなして暮らし、1年中放牧されて、草や苔を好んで食べる。
 通常時は「フェ〜」「フェ〜」「フーンフーン」などといった鳴き方をするが、危険を感じると警戒の声を発する。


 さてさて、この家畜の唯一の利用法は毛を採ることであるが。





 毛を利用するために品種改良された家畜であり、その毛は今日でも広く利用されている。
 毛の太さは12 - 28マイクロメートル。
 アルパカの毛は刈り取るまで伸び続けるため、約2年間くらい切らずに放置しておくと地面に届くほどに伸長する。
 毛色はは「茶・黒・白・ネズミ色」の4種類に大分されるが、さらに細かく分けると25種類ほどにもなる。
  また、白色以外のアルパカの毛は染色のしづらく、そのため色のあるアルパカは飼育を敬遠される傾向にあり、絶滅のおそれが指摘されている。


 12---28マイクロメートルとは「0.012---0.028mm」である。
 やたら細い、超々極細。
 伸びる続ける毛、ということは上の写真だと前が見えなくなってしまうが。



 アルパカはもっぱら毛を利用し、その毛ででインデイオ伝統のマントやポンチョ、そのほかのさまざまな衣類を作り、自分達で着たり輸出したりしている。

 服飾業界において「アルパカ」の名は複数の意味で用いられる。毛について言う場合、たいていはペルー産のアルパカのものを指す。しかし、生地としてはより広く、アルパカの毛でペルーにて作られたものだけでなく、イタリアやイギリスののブリランテ(brillante.ch)などを混ぜて作ったものも「アルパカ」と呼ばれる。

 生地として最高級品質とされるのは、生まれて初めて刈り取ったアルパカの毛で作ったもので、「ベビー・アルパカ」と称される。

 南米古来の動物で毛を用いるのは、ビクーニャおよびアルパカ、ラマおよびグアナコの4種である。

 ビクーニャとアルパカはいずれも毛が重要視される が、アルパカの場合、毛の品質と量の点で優れており、ビクーニャは柔らかさ、きめ細かさ、希少さと高品質の点で珍重されている。グアナコの毛はビクーニャ より若干劣るが、量はやや多い。

 また、アルパカの蹄(ひづめ)は、擬音楽器として利用されることもある。

 アルパカについては概略分かったがどうも写真が?
 上の写真のこのアルパカの顔、どう思います。
 まるで「人面獣」。
 それが集団で向かってくるという下のビデオを見たときは、一瞬、気持ち悪くなったのだが。


アルパカのビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=yFctPUz7kIY


 先頭のアルパカなど毛が眼の上に覆いかぶさって、前が見えないのではないかと心配するほど。
 このビデオのアルパカの顔はさほどに人面的でないから、見慣れてくるとかわゆく感じます。


 どうも、アルパカにはいろいろ顔があるようです。
 ローズマウントのアルパカ牧場のアルパカは「美男美女」がそろっていますので、見ていて背筋がゾッとというようなことはありません。

 稿頭の写真は刈り込まれて、若干日時のたったアルパカですが、刈った痕が残っていますね。
 以前、羊の毛刈りをみたことがありますが、刈った後の羊はなんだか可哀想。
 風邪引かないかと同情してしまったほど。





 刈られる前のアルパカと、刈られたアルパカ。





 刈られたアルパカだが結構かわいい。

 インターネットを見ていたら、とんでもない写真がありました。
 「らばQ」から転載させてもらいます。


らばQ 毛を刈られたアルパカの衝撃的な姿
http://labaq.com/archives/51209020.html






 「ウファファファファー!

 さてさて、この牧場のアルパカはどんな姿だったのでしょうね。
 想像するだけで、面白くなってくる。

 「らばQ」からもう一つ。

那須のアルパカ牧場でどっさり写真を撮ってきましたが---あれ、あれ?
http://labaq.com/archives/51234734.html



 
Alpaca Studでは、いつもは静かに草を食んでいます。









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2009年10月13日火曜日

アルパカ牧場:Alpaca Stud その1




● アルパカ:Alpaca



● 細目で、なんとも寂しげな



 前に住んでいた所での話である。
 住宅地の入り口を入ったところの家の前庭に、奇妙な置物があった。
 ポニーのような羊のような、純白のヘンテコな彫像が2体あった。
 近くのハイスクールの文化祭かなにかに出すための小道具のようにも思えた。
 動物なら動くはずであるが、置物だから動かない。
 それれにしてはうまく作ったものだと感心してしまった。
 いったい、これはナンなのだろう。
 きっと、おもしろそうな演劇に使われるのだろう、などと思ってみた。
 車だったのでスーとその横を通り過ぎた。
 この彫像をバックミラーで追っていた。
 と、そのときである、、ピクリと動いた。

 「
おい、生きている!、ありゃナンだ

 翌日にはいなかった。
 話によると、この生き物、この住宅地のけっこうなウワサになっていたらしい。
 「アルパカ」という名前だという。
 そんな動物、聞いたこともない。
 「パカパカ」なら馬、「アルカポネ」ならマフィヤ。
 羊かヤギとポニーあたりの掛け合わせだろう。
 まさか、アルカポネが競馬好きで、それが嵩じて趣味で作ったってことはないだろう。
 それにしても、何で1日だけ、あの家にいたのだろう。

 まあ、何処かの動物好きが作り出したものだろう、といったところでさほどの興味もなかった。
 いまなら、ちょっとインターネットで調べてみるか、ということになるのだが。
 この話はそのまま、忘れさられてしまった。

 が、それが突然、形をもって現れた。
 「アルパカ牧場に行きます」
 と、言われて「アルパカって、あのけったいな不具合の合いの子のアルパカか」
 それが、これ。







 ウーム、なんとも、やっぱりケッタイ!

 これは、馬か、羊か、ヤギか?
 未成熟の子どものラクダに似ていないこともないかな。
 牧場の駐車場の横に飾ってあった置物、と言いたいがほとんど動かないが、少しは動く。

 場所はここ。
 
「ローズマウント・アルパカ・スタッド:Rosemount Alpaca Stud」
 「Stud」とは飼育場という意味で、ファームの牧場とはちょっと違うようだが、どう違うのだろうか。




 本当はちゃんとしたパンフレットがあったようですが、今は品切れ中で、A4用紙に白黒コピーしたものしかありませんでした。
 この牧場、パンフレットの追加は発注ができないほど資金繰りに困っているとか。
 アメリカ発世界大不況の昨今ではいらぬ心配をしてしまう。



 「ローズマウント」といえば、有名なワインがある。
 この辺もワイナリーが多いから、ここらあたりの出身かなと思ったら「ハンターバレー」とあるから、ニューサウスウエーズでまるで違う。
 「Rosemount Wine」で検索すると、それも日本語でやってもあるわあるわビックリするほどのサイトが出てくる。


http://www.asahibeer.co.jp/products/wine/brand/rosemount/


 個人的な話をすると、私が飲んでいるのは「Stanley Wines」という会社の「DOLCE BIANGO: WHITE LAMBRUSCO」。
 どういうワインかというと、4リッター千円の箱の酒、「カスク」という。
 つまり、庶民専用のワインということになる(ワインの味も分からぬビンボー人のワインとも言われているが)。
 この会社のものはどこの酒屋にもおいてありすぐに手に入る。
 いろいろな箱の酒を試したが、このラベルの白ワインが一番おいしい。
 ほかの種類では新発売されたと思ったら、あっという間に消えていくのもある。
 2,3のこの会社のドル箱定番があって、その1つがこれである。
 よって決して発売中止にはならないワインで、ズーと飲み続けている。

 ローズマウント・ワインだが、インターネットでは有名だが、何しろ箱の酒しか飲まないので知らないのです、と、言いたいが、別の意味で知っている。



 はるか昔、まだJALがゴールドコースト・マラソンのスポンサーをやっていた頃。
 「Rosemount Wine」はハーフマラソンのスポンサーをやっていたのです(会社名:ROSEMOUNT ESTATE)。


http://www.cavemorooka.com/rmco/index.htm

 オートレー家が経営す るローズマウント・エステート。
 いま、豪州で大資本のワイナリーに伍して大きな成功を収めている家族経営のワイン生産者である。
 年間生産量350万c/s。
 その3分の2を輸出する。
 英国や米国など海外市場での大きな成功は、需要増に対応するための新たな投資を促しており、その対象 は畑や醸造所設備のみならず、マーケティング部門へのマスター・オブ・ワイン有資格者の登用など優秀な人材の配置にも及んでいる。ロー ズマウントの歴史は1864年に遡る。
 ドイツから移住したカール・ブレシュトがニューサウス・ウェールズ州アッパーハンター・ヴァレーに最初の葡萄を作付 けし、「ローズマウント・ヴィンヤード」と名づけたのが始まり。
 ブレシュトのワインは1881年のボルドー国際見本市で金メダルを獲得するなど、19世紀 後半の国際的な見本市で高い評価を受けたが、後継者に恵まれなかったこともあり、1900年代初頭、ブレシュトの死とともに、葡萄園の大半は牧場になって しまった。
 ■ローズマウント・ルネッサンス
  ローズマウントの復興は1969年、パプア・ニューギニアでのコーヒー栽培で成功を収めたロバート・オートレーがこの土地を購入した時から始まる。
 オート レー家はすでに豪州で牛や馬の飼育を手がけていたが、ロバートと彼の息子たちは、この土地が葡萄栽培に適していることに着目、国際レベルのワイン生産を目 標にワイン事業が開始された。
 それからおよそ30年。
 ロバートは慎重にワイン事業を拡大してきた。
 現在、ローズマウントのワイナリーは、アッパーハンター・ヴァレーにあるデンマン醸 造所と、南オーストラリア州マクラーレンヴェールにあるライクロフト醸造所の2か所にある。
 これらの醸造所を核に、土壌やマイクロクライメットの異なる複 数の自社畑約1600haを所有し、「ダイヤモンドラベル」からフラグシップボトルの「ロクスバラー」「バルモラル」「マウンテンブルー」にいたるまで、 品種特性の鮮明なワインを生み出している。



 JAL日本航空は近頃倒産寸前のありさまのようですが、この会社、ミエミエに「時代に疎い」。
 できるのは単なる役人の帳簿合わせだけ。
 飛行機などというのはもはや特権階級の乗り物ではない。
 破れジーンズにビーチサンダルで乗る乗り物である。
 解かりやすく言えば、夜行の長距離バスと同格。
 バスは高速道路を、飛行機は航空路を行くだけの違い。
 まだ新幹線の自由席の方がレベルが高い。
 この点が理解できていない、悲しさ。

 ムスメは緑のエコバックたった一つでやってくる。
 通勤のときはびっちりと顔を作って電車に乗るが、飛行機だと化粧もせず、普段着のまままるで手近なスーパーへ買い物にいく感覚で乗り込んでいく。
 バアサンは機内販売は高くてマズイのでと、ウメとサケとオカカのオムスビを作って、座席にちょこんと座って和食タイムを愉しむ。

 ムダに税金をつぎ込むくらいなら、潰した方が国民のためになると思えるほど。
 遠い昔ならいざ知らず、もはや国家が面倒見なければならないほどの特殊な業種ではなくなっている。
 潰したところでどうという業種でもない。
 いくらでも替えが参入してくる業種。
 宅配便程度の業種。
 運ぶものがモノではなくヒトになっただけのこと。
 その程度のポピラーな業種。
 国家が運営管理をバックアップするほどのものではない。

 なら「Rosemount Wine」は。
 バックに「スーパードライ」のアサヒビールがついているのですね。
 最近、日本の会社がやたらとこちらの農業系の会社を買っている。
 工業革命から情報革命へ、そして次に来るのは農業新革命だろうか。
 バイオの時代はすぐそこまで来ているようだ。
 確か地元のXXXXビールはキリンに買収されたというニュースを読んだ記憶があるが。

 話がどんどん飛ぶのが悪いクセ。
 アルパカに戻りましょう。




● ローズマウント・アルパカ・スタッド:Rosemount Alpaca Stud


 時は変わって、我が家にもインターネットが入りましたので、饒舌ついでで調べてみましょう。


 <つづく>



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2009年10月11日日曜日

Multicultural Festival 2009 その1


● GOLD COAST MULTICULTURAL FESTIVAL



 いつもの日本食品店においてあったのが、上のパンフレット。
 早速、10倍のポケットカメラをぶるさげて、ウキウキしながら行ってみる。
 時間は10時から4時まで。
 でも、雨が落ちてきたので、早めに切り上げて前半だけ見て帰ってきた。
 そして、こうっやってインターネットに書いている。
 撮った写真の数、なんとなんと「557枚」
 まったく、デジタルカメラとはとんでもないシロモノである。
 でもバッテリーは上がらなかった。
 
 パンフレットを見るとわかるが、協賛している地域コミュニテーは「SAUDI STUDENTS CLUB」のみ。
 「SAUDI」とくれば「サウジアラビア」のことであろう。
 「STUDENTS 」とくれば学生だろう。
 実際、その民族衣装の方々が目についた。
 ということは、産油国のお金持ちの学生会のみが協賛しているフェステイバルということになる。
 が、これで「マルチ文化」のお祭りといえるのだろうかと、首をひねってしまう。
 本当のところはどうなのだろうか。



 会場でもらったのが上のパンフレット。
 サウジアラビアのほかに「日本人会:The Japanese Society of Gold Coast INC.」が加わっている。
 でも、それだけ。
 会場の地図を見てみるとわかる。
 「Japanese Village」と「Saudi Village」があるだけ。
 あとは「メインステージ」とローカル新聞社の「ステージ」があるのみ。
 つまり、マルチカルチャー(多文化)と銘打った「日本文化祭」みたいなもの。
 残りのカルチャーはメインステージとローカルステージでいろいろな国のコミニィテー文化が応援参加でちょこちょことお付き合い程度に披露されるだけ。

 

 パンフレットの裏にはイベントとそのタイムスケジュールが載っている。
 このパンフレットには一緒にもう1枚ついてくる。
 それが下のもの。



 つまり、「Japanese Village(日本会場)」で行われる出し物の時間表[Multicultural Festival JAPANESE Performance Time Table]。
 せんじつめていえば、マルチカルチャル・フェステイバルなるものに生真面目に参加してきたのは、
 「日本だけだった」、
ということになるわけである。
 ここでパワーを持つ民族・文化とくれば、イタリアと中国とドイツの3つだろう。
 それがそっぽを向いている「マルチカルチャル」。
 それなりの事情はあるのだと思うが、なんとも寂しい。

 でも日本は参加を要請されたら、きっちりと参加しないといけません。
 ここの自治体だって、サラダボールのような民族パズルの中で、それなりに気を配っているのですから。
 それが日本の民族文化の信用というものを培っていくことになるのです。
 「日本ならやってくれる」そういう信頼が必要なのが海外なのです。
 てな前置きは本当はどうでもいいことなのですが。
 「行ってきました、見てきました、面白かった、楽しかった」だけでは渋味が足りないので書いてみただけです。
 別に苦味を求めているわけではありません。


 場所はゴールドコースト・シテイー・カウンシルの前庭。
 つまり市役所の庭とういうことになる。
 そんな狭いところで、などということなかれ。
 これ結構、広い。
 地図を載せておきます。



 中央、川沿いに三角形に突き出した場所。
 風光明媚、環境抜群。
 左下のリングの形が競馬場。
 街の真ん中に競馬場がある。
 ここのスタンドに腰を据えると、ゴールドコーストの高層建築群が一望できる。
 その下を馬がパカパカ駆けてグルリとまわってスタンド前でゴールする。
 このスタンド、ちゃんと海側に向かって階段状にしつらえられてあるのである。
 なんとも絶景、美しき楽天地といえる。
 馬など見ずにも、食ったり飲んだり芝生で寝転んだりで一日過ごせる場所。
 ここの観光協会、客寄せで頭を痛めているというが、どうも発想が貧困。
 競馬場に馬車レース、それにドッグレースと、客寄せのイベントに事欠かない。
 がそれを利用しようという、頭が働かない。
 つまり、豊か過ぎる弊害ということである。
 ちなみに、この競馬場で以前に郷ひろみがリサイタルをやった。
 もちろん、お客の数は少なかったが、つまらん劇場でやるより、はるかに面白い。
 ちょっと大掛かりにやればそこそこのことはできるというもの。
 でもやらない。
 なぜなら、競馬場を馬が走る以外に使うなんてとんでもない、ということ。
 その競馬場の2/3くらいあるのですから、市役所の敷地広さがしれようというもの。

 Google Map ならパンフレットのように「Evandale Parklans Bundall QLD」と打ち込めば表示されます。

 市役所は近いうちに移動する計画があり、その後ここはボタニック・ガーデンとなり、市民いこいの場所に生まれ変わるとか。
 フェリーが開通すれば、車ではなくゴールド・フェリーでも楽しめるようになるようである。

 さてメイン会場ですが、この小屋。
 ちょっと寂しいですが、仮設ですからしかたがないでしょう。


 
 下の写真で右でマイクをもっておられる方、この国の、といってもクイーンズランド共和国であるが、マルチカルチャル問題担当大臣である。
 大臣がきているのに、聞いている人はちらりほらり。
 日本ならさしずめ、総動員令がかけられ満席に近くなんるのだろうが、やはりローカル。



 さて、次は市長の挨拶。
 ロン・クラーク。



 元オリンピックの陸上選手。
 労働党。
 自由国民連合の候補と熾烈な選挙戦を戦い、今期2期目。



 ここは市役所の庭だから、勤務地はとなりの建物。
 といっても今日は日曜日なのでお休み。


 さて、いとも短い挨拶で、本番に入っていく。
 司会者はこの女性。
 日本なら美人のお姉さんがビッシとスーツに身を固め出てくるのだが。
 美人には変わりなかったが、着ているものはTシャツに洗いざらしのジーンズ。
 やっぱり、イナカ。



 はじめは「琴の演奏」。
 と同時に、少し離れた日本会場では空手が始まった。
 「エイ、エイ」の気合が聞こえてくる。
 どちらを見るか。

 やはり琴にした。


<つづく>



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