● アンナ・ブライ[Anna Bligh]クイーンズランド共和国首相
ハーフマラソン2時間6分 パーソナルベストで走る
Gold Coast 「The bulletin」より
● 火炎ダンス
GCマラソンについてはついつい筆にのって書いてきたが、もう一つ書いて終わりにしたいと思う。
スタートはサウスポートにあるオーストラリア・フェアーというショッピングセンターの前。
この日はゴールドコースハイウエイが全面交通止めとなり、この道を使って1万人を超えるのランナーがそれぞれの種目にあわせて、時間差でスタートしていく。
ゴールははす前のアンザックパーク。
昨日がその当日であり、朝方早くショッピングセンター内の駐車場に車を止めて出たとたんに、ハーフがスタートしてしまった。
よって、見られたのは10kmランのスタートから。
● 10km start
ちなみにマラソンのスタートは見られない。
なぜなら、その時間は10kmのゴールと、それに続くハーフのゴールがあり、見物のために道路沿いからアンザックパークへと移動していってしまうからである。
マラソンのスタートを見るか、ハーフのゴールを見るか、二者択一をせまられるということになる。
● レッドマン(左)と火炎ダンス
スタート横の広場では火炎ダンスをしていた。
そこをマラソン出場のレッドマンが駆け抜ける。
ダンスは今年は暖かいので、この恰好でもいいが、気象が悪いと見ているほうが寒くなってくる。
今年は目の保養で。
● Gold Coast 「The bulletin」より
レッドマンの正式名称は「キャプテン・アカウンタビリテイー」だそうです。
和訳だと「キャプテン・責任マン」かな。
さて、ゴールのスタンドから。
● ここがゴール
● 10km 男子・女子のトップランナー
さてマラソンだが、このゴール前の道路付近は30kmあたりになる。
トップでやってきたのはケニヤのランナー。
● 女子はゼッケンナンバー「52」
次はゴールへの取り付け道路へ入ったすぐの直線コースで待つ。
悠々の走りでケニヤランナーがやってきた。
● 男子のトップランナー
ゴールタイムは「2時間11分58秒」
残念ながら2時間10分を切る記録(サブテン)は今年も出なかった。
女子だが、トップが入ってきたころは、なんと「2.25km」の保護者付き添いのジュニヤダッシュもゴールに向かっていた。
● 女子のトップランナー、が、すぐ後ろに2位のランナーが続く
左のコースは小さな子どもたち。
そして右が、女子のトップランナー。
が、である。
なんと、その後ろに2位のランナーが迫ってきているのである。
せいぜい20mくらいの差。
このコース地図で見るようにプールの外周道路(黒い部分がプールエリア)をグルリと回るようにできている。
よって、取り付け道路に入ってすぐにダッシュでラストスパートなどかけたら、とんでもないことになる。
下の写真は取り付け道路に入ったところから撮ったもの。
先に見えるゲートは、単なる歩行者用の袴線橋。
ここで間違ってはならない。
その先にコースは続く。
42kmの看板がやっと見えてくる。
ここからが勝負になる。
カーブを大きくとって、プールを回りこむ。
その後ろにゴール・フィニッシュが待っているのである。
取り付け道路の入って有に400mはある。
ということは、日本でいえば、陸上競技場のゲートをくぐって、いよいよトラックを1周というところである。
まさに、ここから熾烈な最後の戦いが待っていることになる。
追い上げる2位のランナー。
逃げ切れるかトップランナー。
ゴールへの直線コースへ入った。
ピタリと背後に着いた。
● ほぼ並ぶ
おそるべきデッドヒート。
女子の1位2位はたった「1秒」差であった。
と、インターネットには載っていた。
が、新聞の発表では「同タイム」の1位と2位。
体一枚の差。
逃げ切った。
● 逃げ切った
● 表彰台の二人
● Gold Coast 「The bulletin」より
3位が入ってきた。
「エー」
この体型と顔、どこかでみたことがある。
● 女子の3位がきた
「小さな体に、まん丸の顔」
もしかしたら、大学女子駅伝で筑波が優勝したときのアンカーを勤めた可愛い子ちゃん?
名前は、ええと?
昔のことでちょっと覚えていない。
ゴールで放送のマイクが流れてきた。
ちょっと雑音が多く聞き取りにくい。
「ジャパニーズ ランナー マイ タ◇◇」と言っているようだ。
「マイ」とすると、記憶におぼろげにあるのは「田上マイ」
「マイ」は「舞」ではなく、たしか「麻衣」のような気がしたが。
このときの大学駅伝は相当に昔のこと。
友人が送ってきてくれたビデオに入っていた。
早速インターネットで調べてみた。
確かに3位に「Mai Tagami」が入っている。
「田上麻衣」で調べてみた。
彼女が筑波大学のアンカーを勤めたレースは1999年で正式名称「全国大学女子駅伝」
ということは、なんと10年も昔の話になる。
このレース、2位3位の追い上げがすさまじく、1年生になったばかりの泣き顔の田上が追い詰められながらもようように逃げ切ったもの。
このときのレースをコピーします。
『
1999全日本大学女子駅伝
http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/ekiden/099-200/99anjl.html
城西大、京産大、筑波大 3強がそれぞれ個性ある作戦!
3強のオーダー編成には、それぞれの思惑と個別事情がからみ、それがレースのゆくえを複雑なものにして、よけいに観戦者の興味をそそった。3強にうち城 西大はいまや大学女子ナンバー・1の赤羽有紀子をいきなり1区に起用してきた。準エース格を故障で欠いたせいか、序盤で流れを造って一気に押しきろうとい う作戦。京産大は1区では出血覚悟、2区以降で追い上げ作戦。筑波は1区・山中美和子、2区・岡本由美子を配して、明らかに逃げ切り狙いである。
今大会の見どころは2つあったが、そのひとつは第1区であった。最近の駅伝は前半重視が鉄則、今大会でも各校とも1区にエース級の選手をぶつけてきた。 区間新記録が出たのは、やはり5千Mを15分台で走るビッグ・4の顔がそろったからだろう。赤羽有紀子(城西大)、山中美和子(筑波大)、伏見谷恵子(大 阪学大)、加納由理(立命大)が前半から先頭を突っ走った。7キロ付近で赤羽と伏見谷がスパート、「力強さ」と「華麗」……、両者の走りはまるで好対照で おもしろかった。中継所では赤羽がわずかに先んじたが、両者ともに区間新の快走、実に見応えのある闘いだった。
1区で城西がトップに立ったのは、ほぼ予定通りだったろう。筑波は34秒遅れの4位、そして京産大は1分7秒遅れの8位である。この時点で1分内外なら まだ圏内というところか。城西は2区で捕まったのが誤算だったろう。5キロ地点で筑波の岡本由美子は城西の友金有香に追いついてしまう。4年生の岡本はさ すがにチームリーダーらしく自分の役割をきちっと果たした。大学生活の最後、初優勝にかける執念を見る思いがした。
つなぎの1年生ランナーが勝負をきめる!
出場チームのなかで唯一17回連続出場の筑波に初優勝をもたらしたのは、3区、4区の1年生である。昨年は田村高校のアンカーとして優勝のテープをきっ た3区・菅野勝子は岡本から受け継いだ14秒の差を46秒に、4区・山嵜麻子は1分06秒にひろげてしまったのだる。さらに5区の猿田なつ奈も区間1位の 走りで、1分あまりの差をキープしたまま、タスキはアンカー・田上に渡る。この時点で筑波の初優勝はほとんど決定的となった。
レースはそれでも最後まで目を離せなかった。最終区で中村望(立命大)と丹菊りつ子(城西大)が並んで追いあげ、1分以上あった差を4キロ地点で50秒 に、残り1キロ地点では20秒に詰めてきたのである。両校はあわやトラック勝負か……というところまで追撃して、最後の見どころをつくってくれた。かろう じて逃げきった筑波のアンカー・田上麻衣、顔をしかめて苦しそうだったが、ゴールの瞬間、満面笑みでくしゃくしゃになったさま、いかにもあどけなくて、お もしろかった。
』
ちなみにここにでてくる赤羽有紀子は今年の世界陸上マラソンに渋井陽子とともに出場する、日本初の「ママさんランナー」の赤羽です。
が、その後の田上については何も知らないのです。
箱根駅伝は送ってもらっていますが、他のレースとなるとなかなか手に入らず、よほどのレースの優勝者でないかぎり、誰がどうしたというのはなかなかわかりづらくなっています。
よって、田上を見たのは実に10年ぶりということになります。
おそらく、10年前の田上を覚えていたというのは、上の記事のように、よほどにこの駅伝レースでのアンカーとしての田上の印象が深かったのではないかと思われます。
その彼女に一瞬ですが、ここで出会おうとは思いもしませんでした。
田上は今、メルボルンにいてオーストラリアのレースに参戦中らしいです。
それもインターネットから。
『
田上麻衣の海外レース体験記 2009.06.13
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090613OverseasRaceExperienceRecord;jsessionid=3279BF1576573511C92306047A903FA4
田上麻衣の海外レース体験記 パート2
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090707OverseasRaceExperienceRecord
● 田上麻衣
国内はもちろん、海外レースでも数々の好成績を残した実績を持つランナー。
最近ではアテネ・クラシックマラソン優勝。
日本の一般ランナーに海外レースの魅力を知ってもらうために今回の連載をスタート。
国内はもちろん、海外レースでも数々の好成績を残した実績を持つランナー。
最近ではアテネ・クラシックマラソン優勝。
日本の一般ランナーに海外レースの魅力を知ってもらうために今回の連載をスタート。
海外レースに挑戦してみませんか?
ちょっとしたマラソンの出会いから生まれたオーストラリア、メルボルン滞在。
1年の予定ですが、滞在中に色々なレースにチャレンジして楽しむつもりです。
そして、この連載を通じオーストラリアのランニング事情や海外レースについて知ってもらい 多くの人が海外レースに興味を持って、チャレンジしてもらえたら良いなと考えています。
【 生年月日 】1980年1月22日
【 クラブ遷移 】
神戸市立広陵中学
兵庫県立西脇工業高校
筑波大学
ユニクロ女子陸上部
アルゼアスリートクラブ(佐倉アスリート倶楽部)
- 【 主な実績 】
- Jr.オリンピック 800m3位
全日本中学陸上 800m6位
全国インターハイ 3000m6位
全国高校選抜陸上大会 5000m3位
なみはや国体 3000m3位
全日本大学女子駅伝 99’、01’ 優勝
ボストンマラソン 8位
大阪国際女子マラソン10位
北海道マラソン
03’ 3位
04’ 2位
06’ 2位 - 』
この大会における女子の最高記録は浅井えり子が1993年につくっている。
JALはホノルル、ゴールドコースト、グアムを3大マラソンと位置づけ、そのスポンサーをしていた。
JALの肝いりでこのレースには日本からテレビクルーが入り、地元テレビ局を通じて全コースの完全中継を放映した。
以前にテレビ中継が行われたという話は聞いていないし、その後もない。
ということは、それが最初にして最後の全コース中継だったということになる。
このとき、浅井えり子は「2時間29分29秒」を記録している。
この大会で2時間30分を切った女子ランナーは、今もって彼女一人しかいない。
JALはバブルの終焉とともに、ゴールドコースト、グアムから撤退し、現在はホノルル・マラソンにのみその名を残している。
彼女については所属する実業団の関係で多摩川土手のサイクリングコースを練習場にしており、そこで2,3度見かけたことがある。
なを、この大会の顔であり、日本女子陸上界にあってオリンピックに偉大な足跡を残した有森裕子の優勝は2001年になる。
最後に半分個人的な話で。
男子のハーフマラソンのゴール前、タンザニアのランナーと競っているのはマイケル・シェリー[Michael Shelley]。
地元ゴールドコースト出身の期待のランナー。
地元出身者を「ゴールドコースター:Gold Coaster」と呼ぶ。
よってゼッケン「1」をつけている。
「2006年国際千葉駅伝」ではオーストラリア代表メンバーとしてエントリーしています。
と、いっても誰も知らないでしょう。
『
2006国際千葉駅伝
http://wwwz.fujitv.co.jp/sports/ekiden/chiba2006/list_men.html
オーストラリア(AUS)
1 Michael Shelley マイケル・シェリー 23歳
2 Liam Adams リアム・アダムズ 20歳
3 Martin Dent マーティン・デント 27歳
4 Lee Troops リー・トループ 33歳
5 Brett Cartwright ブレット・カートライト 33歳
6 Erwin Mc Rae エルウィン・マクロウ
7 Collis Birmingham コリス・バーミンガム 21歳
』
息子のハイスクールの同級生。
一度だけ会ったことがある。
サウスポートのライフガードが主催したファンランに行ったとき、息子に声をかけていたのがマイケル。
ブリスベンの人気なイベントであるファンラン「ブリッジ・ツー・ブリスベン:Bridge to Brisbane」の上位入賞の常連。
ちなみに、このファンラン、「Gateway Bridge」というブリスベン空港に通じる有料橋から市内の公園まで走るのだが、当初は「Bridge to Bay」でこの橋からブリスベン湾に向かっていた。
が、これでは人が呼べないので真反対の市内に向かうコースに変更された経緯がある。
これで、参加者が増大し、昨今ではあまりの参加数で一度にスタートすることができず、時間差で数回にわたって「go」をかけるという変則的な運営がなされている。
マイケル・シェリーだが主に10kmで走っていたが、最近ハーフに転向した。
今回は1秒差の2位。
そのうちフルマラソンへのステップアップがあるだろう。
マイケルの活躍を期待しよう。
マイケル・シェリーのニュースです。
『
ABC Gold & Tweed Coasts
http://www.abc.net.au/local/stories/2009/07/01/2614001.htm
Tens of thousands of people will line up on Sunday for this year's Gold Coast Marathon, from some of Australia's best runners to those competing for the experience.
』
なを、クイーンズランドの著名なマラソンランナーはブリスベン在住の「パトリック・キャロル:Pat Caroll」です。
千葉国際駅伝にも参加しており、このときは急遽参加できなくなったモネゲテイに代わってアンカーを勤めました。
マラソンでは別府大分マラソンで優勝しています。
GCマラソンは1984年、1985年と連覇(連覇は他にケニヤのキプロプが記録しているだけである)しており,1988年、1997年とあわせて計4回優勝し、これはおそらく大会史上で、もはや破られることのないレコードだと言われています。
GCマラソンの話は、これで終了します。
[◆ その後 ◆]
『
25today スポーツ - 2009年8月09日
2009年「シティ・ツー・サーフ」ファン・ラン開催
http://www.25today.com/news/2009/08/20092_1.php
世界最大規模の「7万5千人」参加!
じっとしているとまだまだ肌寒い8月9日の日曜日、シドニーでは毎年恒例のシティ2サーフ・ファン・ランが開かれ、ハイド・パークからボンダイ・ビーチまでの14kmを7万5千人が走ったり歩いたりした。
この種のイベントとしてはいまや世界最大規模の立場を揺るぎないものになっている。
今年は第39回目を迎えた。
毎年本格派も参加するが、珍奇をてらったランナーが人気を呼んでおり、今年はマンガ・キャラクターや「歩くきのこ」のパレードもあった。
甲冑に身を包んだ半裸のスパルタ戦士がおばちゃんグループから喝采を受けていた。
また、「インフルエンザ症状の人は参加しないように」との主催者の案内があったが、白衣にマスクという医師風グループは、死から甦ったような残忍な雰囲気の看護婦風グループと競い合っていた。
今年の優勝者は、ゴールド・コースト在住の学生、「マイケル・シェリー(25)」さん。
2008年は惜しくも第2位にとどまったが、今年は「41分2秒」と、これまでの最高記録である1991年のスティーブ・モネゲティさんの40分3秒に1分足らずのところまで迫っている。
「今回で出場3度目だが、本当に三度目の正直になった」と語っている。
女性ランナーでは、聾唖水泳インストラクターのメリンダ・バーノンさん(23)が、47分46秒で優勝したが、最高記録には2分以上及ばなかった。
(AAP)
』
おそらく、田上麻衣もこの著名なファンランには参加していることでしょう。
何しろ日本にいたころ、日本のテレビで一週間遅れでしたが全コースのテレビ中継を放映したほどのイベントですから。
坂のあるコースで、このときの優勝者はアフリカのランナーでした。
「田上麻衣の海外レース体験記 パート4」は「シテイ2サーフ」かな。
ちなみに、「パート3」はやはりゴールドコースト・マラソンでした。
食べ物の話を抜粋で。
『
田上麻衣の海外レース体験記 パート3
http://runy.jp/column/overseasRace/or20090809OverseasRaceExperienceRecord
会場では大きなオーロラビジョンが設置されており、レース中継を見る事が出来ますし、いろいろなお店もあるので家族で楽しむ事も可能です。
私が思わず笑ってしまったのが、これ。
「トン汁もあります。 フルーツ食べ放題」の「のぼり旗」です。
』
「City2Surf 2009」をビデオで。
『
The Sun Herald City2Surf 2009
http://www.city2surf.com.au/
http://www.youtube.com/watch?v=OmyTH2iWg2w&feature=related
コース案内ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=-otfv2B9owg&feature=related
』
42枚の写真がみられます。
『
Sydney City2Surf 2009 Run
http://www.zimbio.com/pictures/l8bi8ZUh244/Sydney+City+2+Surf+2009+Run
』
野鳥余話 [home]
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